北村匡登
北村 匡登(きたむら まさと、1889年(明治22年)10月15日[1] - 1985年(昭和60年)[2])は、日本の政治家。長野県更埴市長。 経歴長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。1907年(明治40年)旧制長野中学(現長野県長野高等学校)卒業[1][2]。屋代町役場に入り[1][2]、税務官吏を経て1922年(大正11年)第六十三国立銀行入行[2]。のち八十二銀行篠ノ井支店長を経て1945年(昭和20年)に退職した[2]。 1942年(昭和17年)屋代町会議員に就任[2]。同議長、農業協同組合監事なども務め[1]、1953年(昭和28年)6月、屋代町長に当選[1]。2町2村による「更埴中部市制」実現を掲げ研究協議会を設置し、更埴市の誕生に貢献した[1][2]。 1959年(昭和34年)7月、初代更埴市長に就任し、1963年(昭和38年)7月まで1期在任した[1][2]。新市発足当初は分市運動が活発であったが、粘り強く解決し、中学校の統廃合や県営・市営住宅の建設、文化財の調査などにあたり、更埴市の基礎を固めた[1][2]。 栄典脚注参考文献
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