勝浦 雅彦(かつうら まさひこ)は、日本のコピーライター、CMプランナー、クリエーティブディレクター。東京コピーライターズクラブ」会員、「宣伝会議コピーライター養成講座」「自主プレゼン力養成講座」講師、「宣伝会議賞」審査員、法政大学特別講師、久留米大学非常勤講師、「つくる人の会」主催を務める。千葉県千葉市出身。
来歴
千葉県千葉市出身。法政大学法学部法律学科卒業[1]。在学中に法大のシンボル校舎「ボアソナードタワー」の命名者になり、学長表彰を受ける[2]。
読売広告社、電通九州、電通東日本を経て(株)電通に入社[3]。
2022年(令和4年)1月、初の著書『つながるための言葉 「伝わらない」は当たり前』を出版[3]。
2022年(令和4年)3月、Amazonビジネス書ランキングで『つながるための言葉 「伝わらない」は当たり前』が売上げランキング第1位をマーク。同時に品切れとなる[4]。
現在は、「東京コピーライターズクラブ」会員[5]。「宣伝会議コピーライター養成講座」「自主プレゼン力養成講座」講師、「宣伝会議賞」審査員[6]、法政大学特別講師、久留米大学非常勤講師、「つくる人の会」主催を務める。
エピソード
- 高校3年生のとき担任の先生から「文章を書いて生きていくためには人間を好きになること」と教わる。大学入学後に「電通クリエーティブ塾」に入塾。大学3年で市ヶ谷に建設されたシンボル校舎の名称を考案。清成忠男総長から表彰された[7]。
- 入社後、営業部に配属された勝浦はクリエイティブ部の異動を夢見て3年間、歯を食いしばり頑張った。その間に日本最大のアマチュア広告大賞でコピーライターの登竜門「宣伝会議賞」に挑戦し続けた。現在、宣伝会議賞の審査員を務めている[8]。
- コピーライターになって数年後、「自分にしかできない仕事とは何か?」と悩んだ。結果「自分が営業となって仕事をとる」ことを選び、スーツに着替え飛び込み営業をはじめた。駆け回った結果「大牟田スイミングスクール」の社長と出会った。後に勝浦の代表コピーとして多数の番組で紹介されることになった。「お母さんの声援が聞こえるから、息継ぎが好き」[9]
- コピーライターと営業を兼ね、足繁く「お仏壇のコガ」社長のもとに通った。同時期に母を亡くした勝浦は「どうしてあんなに鬱陶しかったのに、こんなに会いたいのだろう」というポスターコピーを提案。社長から「愛やね」と褒められ採用された[10]。
制作術
- 良いコピーを作る秘訣は「考えて」「準備して」「練習をする」。難しくないようで簡単ではない[11]。
- プレゼンは必要以上に演出をしない。「淡々と」「言葉少なくシンプル」「最後に1つ、結論を残す」[12]
- 伝わらなくても、相手のために最善を尽くした時、つながりは生まれる[13]。
主な仕事
- 「その想いも、おあずかりしています」(ぜに屋本店)[14]
- 「新しい10年がはじまる」(東芝)[14]
- 「去年より恋がうまくなった。なんだかつまらない」(Loft)[14]
- 「お母さんの声援が聞こえるから、息継ぎが好き」(大牟田スイミングスクール)[14]
- 「お母さん、お母さんになったよ」(お仏壇のコガ)[14]
- 「私の下半身は、不自由ですが元気です」(ホワイトハンズ)[14]
- 「辛い恋なら逃げちゃいなさい。どこへ走っても未来だから」(河北新報)[14][15]
- 「どうかてんさいを、ふつうにしてしまいませんように」(ほっぺるランド)[14]
- 「明日も、『ただいま』を聞かせてください」(自殺予防プロジェクト)[14][16]
- 「その手は、つながりあうために」(人権啓発プロジェクト)[14][16]
- 「新聞はキミたちのキャンバスだ!」(福岡新聞学校プロジェクト)[14][17]
- 「三井でみつけて」(三井不動産)[14]
- 「BITE!」(日本マクドナルド)[14]
- 「アイスサスペンス マイナス7℃の愛(ワナ)」(森永製菓)[14]
- 「わが子の性の目覚めに、ずっと目をつぶってきた」[14]
- 「車イスを降りて、私たちは愛しあった」[14]
- 「いったい何組が 恋をして、今の私なんだろう」[14]
- 「たいへんな時代に、 家族をつくってくれました」(お仏壇のコガ)[14]
- 「子どもたちが かけまわる法事は、幸福です」(お仏壇のコガ)[14]
- 「私は、誰かが望んだ、未来なんだ」[14]
- 「別れがこんなに悲しいのは、幸せだったから」(お仏壇のコガ)[14]
- 「「お前も親になればわかる」は、ほんとうでした」[14]
- 「優しいことばかり、言わないでいてくれました」[14]
- 「写真のなかのあなたに、どんどん似ていく私」(お仏壇のコガ)[14]
- 「この国の 平和をつくったのは、ご先祖様です」[14]
- 「男の浮気をなくすのは、 戦争をなくすより難しいの」(河北新報社)[14]
- 「ウソなら死ぬまでつきなさい。それはホントになるから」(河北新報社)[14][15]
- 「「奥さんと別れる」って約束、「行けたらいく」ってぐらい軽いわ」[14]
- 「気づいてないかもしれないけど、あれ、別れ話よ」(河北新報社)[14]
- 「あなたを理由に、みんなが集まってきます」[14]
- 「都会に仏壇が少ないのは、広さの問題だけだろうか」(お仏壇のコガ)[14]
- 「いい報告ばかりしなくて、いいんだよ」[14]
- 「あなたと同じ年になりました。ほめてくれますか」(お仏壇のコガ)[14]
- 「生きている私たちのために、お仏壇はあると思う」(お仏壇のコガ)[14]
- 「あなたなら、どうするだろう。ときどき、考えます」(お仏壇のコガ)[14]
- 「あとからあとからあの人のこぼれ話が出てくる」[14]
- 「遅すぎる親孝行なんて、ないと思う」(お仏壇のコガ)[14]
- 「私が運転すると、助手席は応援席になったりする」[14]
- 「車なら、家の前までいっしょにいられる」(野間自動車教習所)[14]
- 「クリスマスはボーナスの後にある。うまくできてるなあ」(Loft)[14]
- 「生まれたばかりのあなたに、何度「ありがとう」って言っただろう」[14]
- 「どうしてあんなに鬱陶しかったのに、こんなに会いたいのだろう」(お仏壇のコガ)[10]
- 「ケンカした?ようやく向き合えたのね」(河北新報社)[15]
- 「×(バツ)じゃないのよ、×(かける)なの。苦労したぶん、幸せが掛け算になるの」(河北新報社)[15]
- 「どれだけもらっても、お金はお墓に持っていけないわ」(河北新報社)[15]
- 「あなたがさしたうしろ指は、あなた自身に向けられている」(人権啓発プロジェクト)[16]
- 「その手は、つながりあうために」(人権啓発プロジェクト)[16]
- 「NOT自己完結」(福岡新聞学校プロジェクト)[17]
受賞歴
著書
脚注
関連項目
外部リンク