劉仲敬
劉 仲敬(りゅう ちゅうけい)は中国の四川の省籍を持つ政治思想家、2018年11月9日には自らを大蜀民国[3] の臨時総統と称した。独立主義的な思想で知られ、現在はアメリカに居住している[4]。 主義と主張華西医科大学を卒業した後、ウイグル自治区の公安に10年勤務。その時に民族間の衝突の雰囲気を実感した。2012年には四川大学で世界史を専攻,武漢大学で歴史系の博士研究生となった[5]。2016年4月には沙田香港教会で洗礼を受けた[6]。その後、博士課程を中断し米国生活を送り中国大陸の未来は“大洪水”であるとした。 反中華民族中華民族主義を否定。中華民族(大一統思想、中国人意識)は政治的捏造であると否定し、中国国民党と中国共産党の中国の歴史解釈、中国の近代的反日潮流、北伐を否定する。 諸夏主義中国民主化と民族の対立をなくし、文化を守るためには諸夏時代のように、漢族のいくつかの国に分かれる必要がある。また、漢民族は一民族ではなく、粤民族、上海民族、閩越民族、滇民族、夜郎民族、満洲民族、晋民族、燕民族、昭武民族、呉越民族、巴蜀民族、湖湘民族、江淮民族、贛越民族、荊楚民族などがあるとした[7]。 大洪水について劉仲敬は、政治経済や地政学的状況の様々な理由により、中国が将来崩壊し、「大洪水」と呼ばれる無秩序な状態に陥ると主張する。中国はまもなくソビエト連邦やユーゴスラビアの崩壊過程に似た大きな混乱を迎えるだろう。経済危機と金融破綻が通貨崩壊につながる。最後に、中央当局が崩壊し、流民(ホームレスな暴徒)が頻出するとしている。諸夏というのは、この後に建国する民族主義国家のことである。 大洪水というのは、民衆の反乱による崩壊のことを示しているが、歴史上で典型的なのは明の時代の大洪水であり、唐や宋のような体制を再構築するだけの力がなかったと述べている[8]。また、ヨーロッパで大洪水が起こらなかった理由は封建制度のため、権力が分散しており総崩れになるようなことは起きなかったからだと分析している[8]。 瓦房店学について瓦房店市(遼寧省大連市の県級市)は、中国のベアリング産業の発祥の地である。ロシア帝国と日本の技術によりベアリング製造業が発展したが、ロシア、日本の撤退後は技術力が低下していった。中国に技術を蓄積する能力がなく、すべての技術が外部から移植され、移植直後に劣化していくという現象を、劉仲敬は「瓦房店化」と呼び、さらに「瓦房店学」に発展させた。 影響
日本について2015年の笹川平和財団主催の講演会にて、劉仲敬は論文を報告し、「世界システムと中国システムの融合と衝突」との題名で中国と世界の対立が深まると予想した。 そのなかで、ロシアと中国、イスラム過激主義組織が危険な構造的衝突を誘発する可能性を持ち、なかでも中国の挑戦性が最も強いとした。 この中で、中国への対抗のために各国はアウクスブルク同盟に似た連合を形成し、日本も含まれる。日本に東アジアにおけるイングランドのような地位を自然と取り戻し、大陸の強国と比べて大きな優位性を持つようになると予想した[11]。これは、2020年に本格化した自由で開かれたインド太平洋戦略のクアッドなどの役割を2015年の段階で予想したものと言える。 また、清めの儀式は東南アジアと太平洋は基本的に同じであり、 日本の神社のお祓いや浄化の概念は、人類学者にとってはポリネシアや太平洋諸島に共通するものであることがすぐにわかるが、それが特に洗練された形で発展したのは日本だけであるとした[12]。 民主主義についても独特の考察があり、劉仲敬は日本、韓国、中国の民主主義と歴史を比較し、下記のように述べている[13]。 世界史の発展の全行程について知っている限りでは、ヨーロッパでも東欧でも中東でも東アジアでも、基本的な行程は同じであり、いわゆる民主憲法は国民国家の出現の過程で形成された統治様式であり、中国に限らず、国民国家以前の多民族・多文化の大帝国には 適用できないという結論に達しました。 中東のオスマン帝国にも、ヨーロッパの神聖ローマ帝国にも適用されなかった。 ヨーロッパで民主主義が成功したのは神聖ローマ帝国の解体後であり、中東ではケマルがオスマン帝国を解体した後であった。 なぜ日本はそれができたのか? その答えは、日本がアジアのイギリスであり、帝国システムから撤退したからである。 なぜ韓国はうまくいったのか? 韓国は明や清の帝国にも属していたが、その成功は中華帝国から撤退した後のことである。 中華民国在台湾と台湾独立は同じものではなく、中華民国在台湾は政治的な武器であるが、台湾独立はヨーロッパの標準的な国家の発明、つまり文化的な民族主義の出現であると分析している[13]。また、台湾の民主化要因は大一統の中華秩序からの離脱であり、中華秩序の中で運営されていれば台湾の民主化は絶対に不可能であったとも述べている[14]。 また、この概念と考察は諸夏主義のもとになったとしている[13]。今日の香港、明日の台湾、明後日の沖縄のスローガンに対して、「昨日の上海、一昨日の南粤」であるとし諸夏主義で国を取り戻すことが極東の安定につながるとした[15]。 作品一覧翻訳作品
著書
関連項目
外部リンク
参考資料
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