利用者:たけとう/sandbox/男の娘男の娘(おとこのこ)は、若い女性(娘)のような外見をした男性を指すとき主に使用される日本のインターネットスラングである。この言葉とその表現は2000年代に漫画やアニメといったフィクションの領域(二次元)で知られるようになり、2010年代に広く現実世界(三次元)へと普及してブームを起こした。 日本の二次元サブカルチャーでは、1990年代に形成されたショタや百合などのジャンルが、2000年代前半以降急速に女装表現と結びついていった。そこでは『GUILTY GEAR XX』のブリジット、『処女はお姉さまに恋してる』の宮小路瑞穂、『はぴねす!』の渡良瀬準、『バカとテストと召喚獣』の木下秀吉(詳細はいずれも後述)といった美少女と見紛うような少年キャラクターが多数登場し、「男の娘」という新たな呼称とともに人気を広げていった。それらのキャラクターがオタク男性たちの性的指向の変化を反映したものかどうかに関しては専門家の意見が分かれているが、男性たちの「受け身になりたい」という願望が表れているであろうという点では大体の一致をみている。 江戸時代以前の日本は稚児や女形などの女装芸能が盛んであり、異性装を禁忌としていた西洋文化圏とは対照的な地域のひとつを構成していた。二次元の「男の娘」の動きはその伝統へ接続すると、インターネットの普及も大きな後押しとなって、「かわいい」に価値を置く若い世代のカジュアルな女装文化として定着を果たした。そのようなファッションを楽しむ、三次元の「男の娘」とよばれる男性たちの多くは、トランスジェンダーやゲイなどではなく、一種のコスプレイヤーであるという点で複数の専門家の見方が一致している。男性たちの背後には、やはり「かわいがられたい」という欲望の存在が指摘されている。 時期の重なり合う両者に共通する社会的背景は、第二次世界大戦後のフェミニズムの拡大・男性優位主義の縮小の過程と、バブル崩壊後の長引く景気後退・労働市場の急激な規制緩和であり、浮かび上がってくる問題は「男性の生きづらさ」である。少女のようにかわいい少年キャラクターに逃避し、あるいは実際に女装してリラックスしたいというこの現象は、21世紀初頭の日本における男性問題の映し鏡として登場したものという考察がなされている。 →二次元のキャラクターの詳細については「男の娘キャラクターの一覧」を参照
定義「 椿の調査によれば、この言葉は2006年9月9日に開催された同人誌即売会「男の娘COS☆H」において、初めて(語の意味とともに)記録に残る形で使用された[9]。 二次元のオタク文化に端を発した「男の娘」がメディアで紹介される機会は、2009年[12][13]ないし2010年[8][14]ごろ以降増えていった。ところがそれらの多くは漫画やアニメなどのキャラクターではなく、現実世界(三次元)で女装する男性たちを取材したものであった(図1)[12]。二次元の流行が現実に波及し、若年層を中心にポップでカジュアルな女装がおこなわれるようになり、彼らもまた「男の娘」とよばれるようになっていたのである[15][12]( § コスプレ・女装も参照)。「オカマ」「ニューハーフ」「女装少年/男子」「 定義の例「男の娘」の定義は、専門家や当事者により、例えば以下のように言及されている(これらのほかにも複数の言及がある)。
共通する認識「女装」という概念は男性が女性風の装いをすることで自然と発生するが[21][22]、「男の娘」はそうではない。漫画研究者の泉信行は、従来の「オカマ」「ニューハーフ」などの呼称は女装という行為によって付けられはするが、その巧拙までは問われなかったと指摘し[16]、次のように続けている(二次元/三次元)。
すなわちライターの宮本直穀も指摘し[23]、日本文学研究者の伊藤慎吾なども論じているように[24]、「男の娘」は外部・他者からの評価語だということである[注 9]。そこでは「かわいさ」「美しさ」「若さ」といったものが評価のポイントになってくる。例えば美術評論家の暮沢剛巳は、二次元のキャラクターに関し、 二次元においては女装を必須としない定義もある(斎藤 2015, p. 203、樋口 2015, p. 85、伊藤 2023, p. 226など)。日本近代文学研究者の水野麗もそのような立場(前掲)だが[29]、やはり
一定の共通認識が存在するにもかかわらず、この言葉の定義をめぐっては戦争にも似た状況が現れているとライター(2014年当時)の川本直は報告している[32]。まず、「男の娘」は二次元限定のファンタジーであるという考え方があり、三次元に実在する人間を「男の娘」という語でよぶことに対しては反発する声がある(2010年[33]・2014年[34]時点)。三次元の「男の娘」同士でも解釈をめぐる争いがある(2014年[35]・2015年[36]時点)。二次元においても事情は同様であり、例えば以下は、主人公が女装して女学園に通う(いわゆる女装潜入もの)アダルトゲームの開発者座談会におけるやり取りである。
吉田悟郎の漫画作品『オトコの娘ラヴァーズ!!』(2012年)はこうした状況について、女装した少年が好きな人・かわいい少年が好きな人・自らかわいく女装したい人といった、そもそもは異なる対象・行為を愛好していた人々が、「男の娘」という便利な言葉の登場にともないひと括りにされたため、混乱が生じたものという解説をおこなっている[37]。編集者・井戸隆明は、この語の使用者は「男の娘」という概念にそれぞれなりの所有意識を持っていると推測しており、無理に定義せずに曖昧さを残しておくほうが無難であると語っている[38]。宮本は二次元に関し、 成立ブームへと至る流れ20世紀漫画史永山や、オタク文化史研究者の吉本たいまつらの解説によれば、漫画史における「男の娘」の系譜は手塚治虫にまで遡ることができる[40][41]。手塚は『メトロポリス』(1949年)や『リボンの騎士』(1953年)などに両性具有のキャラクターを登場させ[42][40]、『キャプテンKen』(1960年)や『バンパイヤ』(1966年)などで少年が女装するシーンを描いてきた[40][43]。主人公が(常時)女装していた最古の少年漫画の候補として、永山は関谷ひさし『ヘンでオカシなスゴイ奴』(1969年)、永井豪『おいら女蛮』(1974年)などを挙げているが、これらは2000年代の「男の娘」ブームに繋がるものではないという[44]。漫画研究者の藤本由香里によれば、少女のような外見の少年主人公は、まずは岸裕子『玉三郎恋の狂騒曲』(1972年)、名香智子『花の美女姫』(1973年)などの作品で少女漫画の新たなテーマとして登場し、開拓されてきた[45]。 複数の専門家の見解が一致するところ、のちの「男の娘」ブームの先駆・始点・あるいはルーツとなった少年漫画は江口寿史『ストップ!! ひばりくん!』(1981年)である[46]。孤児となった主人公の少年はヤクザの大空家に引き取られ、“三女”の大空ひばりに一目惚れする。ところが、ひばりは実は組の跡目を継ぐ予定の長男だったという展開のギャグ漫画である[47]。
男でありながら作中のどの女性よりもかわいいという[48]大空ひばりのキャラクター人気は1980年代初めにおいて急騰し[47]、作品は大ヒットを記録した(1983年にアニメ化)[49]。来栖は、それまでにも人気を博した女装キャラクターが存在しなかったわけではなかったとしつつも、 1992年、少年漫画における女装少年作品の新たな象徴として登場したのが、小野敏洋『バーコードファイター』である[54]。小学生向けの漫画雑誌『月刊コロコロコミック』(小学館)で連載が始まった同作品のヒロイン役・有栖川桜は女の子の容姿で描かれており、台詞もかわいらしかった[41]。ところが物語も進んだ第11話になって、小野は桜が女装した男子であったことを初めて明かし、女の子と信じていた読者の子供たちを驚かせたのである[55]。来栖はこの出来事を とはいえ、この時期に女装少年ジャンルを支えていたのは依然少女向けの作品であった[58]。小・中学生向けの雑誌では1997年以降、『りぼん』に吉住渉『ミントな僕ら』(1997年)が、『小学五年生』(小学館)にやぶうち優『少女少年』(1997年)[59][60]が、さらに『ちゃお』(同)に富所和子『ライバルはキュートBoy』(1999年)[59]が相次いで登場した。永山は、女装した少年がアイドルになる展開を描いて長期連載作となった[59]『少女少年』も子供たちに秘密の扉を開いたと推測している[61]。これらの作品もただちにはブームに繋がらなかったが、来栖は、のちにブーム期を中心世代として迎えることになる読者たちの認識形成に、早くから影響を及ぼしたものとみている[59]。 1990年代、男性読者向けの女装少年漫画は結局ほとんど現れなかった[62]。ただし、来栖やライターの森瀬繚は、この時期に高橋留美子の少年漫画作品『らんま1/2』(1987年)がヒットを飛ばしていたことには注意を向けている[63][52]。同作主人公の早乙女乱馬は水をかぶると女に変身してしまう特異体質の少年である[64]。来栖は、そうした性転換ものは一般に受け手の抵抗感が小さく、当時においても広く受け入れられやすかったことを指摘し、『らんま1/2』とそれに続いたあろひろし『ふたば君チェンジ』(1990年)や西森博之『天使な小生意気』(1999年)などの作品群が、よりマニアックなジャンルであった女装ものへの入り口の役目を務めていたと考察している[65]。 来栖は1990年代までの歴史を振り返り、「男の娘」的な作品のヒットはその間何度かあったものの、時代に先行しすぎていたことからいずれも単発的な流行にとどまり、ヒット作同士が線として繋がっていくことがなかったと総括している[58]。『ひばりくん』にしても「男の娘」の「ルーツ」とまでの評価は過大であるという[66]。
ショタアニメにおいては1970年代初頭から、幼少の男子キャラクターに性的な欲求を向ける女性ファンたちが存在していた[41]。1980年代に入りショタコン(「正太郎コンプレックス」の略[67][注 11])とよばれるようになった人々であり、ショタコンによって愛されるキャラクターがショタである[69]。このショタが、「男の娘」の成り立ちに直接影響したもの・最大の背景になったものだという複数の専門家の意見がある[70]。 小学校高学年くらいの少年同士、または少年と若者の性行為が描かれる[71]ショタ作品は、もともとは「やおい」(ボーイズラブ、BL)のサブジャンルであった[72]。少年を主人公とするアニメでは主として女性ファンによる二次創作がおこなわれていて、各地の同人誌即売会の規模は1983年に高橋陽一『キャプテン翼』がアニメ化されると急激に拡大した[73]。同作の登場人物が少年から青年へと成長していく中、女性たちの人気を再び博したのが、元気な小学4年生の活躍する[74]『魔神英雄伝ワタル』(1988年)であった[41]。ショタが「やおい」から分離し、独自のジャンルとして成立する契機となったのが『ワタル』である[75]。『ワタル』と後続作品のヒットにより、少年ものの二次創作はさらに活性化していった[73]。そして、1994年に『赤ずきんチャチャ』『勇者警察ジェイデッカー』『ヤマトタケル』が放映されると男性のショタファンも急増し、同人誌の即売会は3作品の男女のファンで混み合うようになる[76]。この流れに『ロミオの青い空』『新世紀エヴァンゲリオン』(いずれも1995年。『エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジは、その優柔不断な態度などからショタキャラクターとして注目されていた[77]。)などが続いていった[78][71]。 そうした中で「男の娘」の源流のひとつを形成したのが、ショタ作品を集めたアンソロジーコミック「ショタアンソロジー」であった[71]。これは二次創作の盛り上がりを受けて生まれた同人誌アンソロジーを母体としており[81]、少年ものの二次創作を出身とする女性作家が多く[71]、最初は完全に女性向けの商品であった[72]。それが、1995年にショタ専門の同人誌即売会「ショタケット」が開催されると、男性作家・編集者がこれに刺激を受け、便乗するように男性向けのショタアンソロジーも作られるようになっていった[82]( § その他の背景も参照)。 すると刊行数の急増に作家の確保が追いつかなくなり、女性向けに描いていた作家を男性向けに融通するということがおこなわれるようになった(その逆のパターンもあった)[83]。ショタアンソロジーは成年向け領域における このように成立したショタアンソロジーの多くは、性行為のシーンにおいて主人公の少年を受動的に描いていた。漫画・ジェンダー論研究者の堀あきこは、このことは読者男性の「男らしさ」(男性性)からの逃避願望を反映したものとして解釈できるとしている[85]。永山は、ミソジニー(女性嫌悪)を内包する男性優位主義が衰退していった結果、女性を強く描き、少年を受動的に描く表現が登場してきたと解説している[86]。ショタアンソロジーの性行為表現はまた、非常に過激なものでもあった[87]。吉本は、ショタアンソロジーによって、かわいい少年が美少女と同じように、男性たちから「性的に消費」「まなざ(男性のまなざし)」される存在になっていったと述べている[87]。
精神科医・批評家の斎藤環は、男性向けの作品では、少年は明らかに戦闘美少女(ファリック・ガール=ペニスを持った少女)の役割を担わされていると分析している[88]。一方、吉本の調査によれば、この時点のショタアンソロジーでは女装している「受け」役は全体の3.5%にすぎなかった[87]。吉本は、これは少年を女装させる手法がまだ確立していなかったためと推測している[87]。 ショタアンソロジーは1995年から1998年にかけてブームを迎える[83]。ブームの火付け役となった『U.C.BOYS:アンダーカバーボーイズ』(1995年、茜新社)を除いては[89]女性向けの商品として扱われたため、後述する成年マークも付けられず、18歳未満の若者にも買われていった[87]。最も多くの巻数が発行された、女性読者中心の『ROMEO』(1996年、一水社→光彩書房。誌名の由来は『ロミオの青い空』。)[90]などにも男性の読者がつき[91]、ピークの1998年には63種もの単行本が書店に並んだ[71]。ところが同年、同性愛表現をポルノの範疇に含め、漫画も規制の対象とした児童ポルノ法案が国会で審議入りすると出版各社に動揺が走った[92]。漫画は結局規制対象から外されたものの[93]、このことが最大の原因となってショタアンソロジーは1999年に一度壊滅する[85][87](図3)。 ショタアンソロジーの作家は約75%が女性であり、多くは2000年代初頭のボーイズラブへと流れていったが、一部はのちに「男の娘」の登場する成年向け漫画で活動することになる[94]。吉本は、ショタの流れを汲む象徴的なキャラクターとしてブリジットや渡良瀬準、木下秀吉(いずれも後述)などを挙げている[95]。伊藤は、ハス太や津田信澄(後述)などを例に挙げて、「男の娘」とショタの境界は必ずしも明確になっていないと2023年に述べている[96]。 ブリジット (GUILTY GEAR)→「ブリジット (GUILTY GEAR)」も参照
1991年に『ストリートファイターII』(カプコン)がヒットすると、多くのメーカーがこのジャンルに参入して対戦型格闘ゲームのブームが発生した[97]。そこでは、かわいらしい仕草の少女キャラクターも多く活躍するようになっていった[98]。2002年5月、GUILTY GEARシリーズ(アークシステムワークス)の新作『GUILTY GEAR XX(ギルティギア イグゼクス)』が稼働を開始する[87]。「男の娘」の直接の先祖・ブームの起爆剤であるとされるキャラクターが、この作品に登場するブリジットである[87][99][100]。
ブリジットはヨーヨーを武器に戦う[102]、修道女風のミニスカート装束にスパッツを履いたキャラクターである[99]。作品のリリースを報じたニュースメディアに掲載されたイラストがどう見ても少女の姿であったことから[103]、シリーズのファンたちは美少女キャラクターが新作に登場するものと喜び、沸き立った[104]。ところが、その後の報道で判明した事実に彼らは大きな衝撃を受けることになった[104][101]。ブリジットは、双子を忌避する因習が残る村に双子の弟として生まれたため、女の子の姿で育てられたという設定の少年キャラクターだったのである[105]。大空ひばり[106]や有栖川桜[41]らとも違い、性自認はれっきとした男性であった[107]。当時の「2ちゃんねる」での反応を調査した来栖・吉本によれば、最初は ブリジットの影響で[101]、2002年から2003年にかけ、『好色少年のススメ』(2002年、茜新社)、『少年愛の美学』(2003年、松文館)、『少年嗜好』(2003年、桜桃書房)などのショタアンソロジーが、成年マーク付きで[110]小規模ながら復活を遂げていった[111]。そこでは1990年代と違い、女装少年の登場する作品も多く掲載されるようになっていた[112]。
ブリジットの修道服はゆったりとしたデザインになっていて、男子の身体の線はそれによって隠されていた[101]。吉本は、「男の娘」の描き方が確立されるまでにはもう少しの進歩を待たなければならなかったとしつつ、ブリジットの登場によって、かわいい少年をよりかわいらしく見せるための手段としての「女装」が発見されたと解説している[101]。来栖[104]も吉本[101]とともに、女装した少年に「萌え」るという感覚を作り出し、女装を男性向けジャンルの萌え属性(萌え要素)のひとつとして確立させたのはブリジットであったと述べている。画像掲示板の「ふたば☆ちゃんねる」では「こんなかわいい子が女の子のはずがない」という「男の娘」を象徴する倒錯フレーズが生まれたが、吉本によればこれもブリジットに端を発したものであった[101]。 そして2002年11月[104]、ブリジットをメインに据えた、女装・ふたなり・女体化の同人誌即売会「鰤計画」が開催され、盛況となった[113](いわゆるオンリーイベント。「鰤」はブリジットの愛称[114]。)。2004年に「計画」へ改称した[115]このイベントには、のちの「男の娘」ブームを支えることになる人々が多数参加していた[109]。例えば、後述する『オンナノコになりたい!』の著者・三葉と編集者・土方敏良はともに「計画」に参加しており、2人の出会いが同書の出版に繋がっている[116]。「鰤計画」の刺激を受けた[117][108]2006年の「男の娘COS☆H」では、参加者の交流により重きが置かれるようになった[113]。前述したように、「男の娘」という語はそのイベントにおいて初めて記録に残る形で使用された[9]。来栖は、「男の娘」という言葉の定着はブリジットによるところが大きかったと述べている[109]。
来栖は、『GUILTY GEAR XX』が稼働を始めた2002年を特別な年であったと評している。この年には漫画ジャンルにおいても、つだみきよ『プリンセス・プリンセス』、叶恭弘『プリティフェイス』、志村貴子『放浪息子』、宮野ともちか『ゆびさきミルクティー』といった複数の女装少年作品が発表されたが[118]、それらに登場した女装少年は『放浪息子』を除いて、すべてブリジットと同様に性自認が男性であった[107](『放浪息子』の主人公にしても性的指向は徹底して女性に向いていた[106])。来栖は、1970年代 - 1990年代の女装キャラクターはオカマやニューハーフ的な、暗さや悩みといったものと無縁ではいられなかったとしたうえで、2002年に始まったこれらの作品群がかつての時代とは違う流れを生み出したと論じている[107]。吉本は、塩野干支郎次『ブロッケンブラッド』(2003年)の主人公・守流津健一の女装について、強制されておこなっているところに笑いが生まれていると分析している[119]。 『ゆびさきミルクティー』はまた、「かわいい自分」という男性のナルシシズムを意識的に描いた点で、吉本[120]・来栖[121]らにより特筆すべき作品とみなされている。この時期の主要な作品としてはほかに、畑健二郎『ハヤテのごとく!』(2004年)[122]、桜場コハル『みなみけ』(2004年)、遠藤海成『まりあ†ほりっく』(2006年)[123]などが挙げられる。『週刊少年サンデー』(小学館)で連載された『ハヤテのごとく!』により、女装主人公の少年漫画はついに一般誌で定着した[124][注 13]。 百合→「百合 (ジャンル)」も参照
1990年代以降、武内直子の漫画作品『美少女戦士セーラームーン』(1991年)、テレビアニメ『少女革命ウテナ』(1997年)、今野緒雪による少女小説『マリア様がみてる(マリみて)』(1998年)のヒットを契機として百合ブームが発生した[126]。百合とは、性的表現を含まない女性同性愛[127]、少女同士の淡い関係・微妙な距離感[128]などと説明されるような題材を扱う作品ジャンルであり、これもまた「男の娘」の背景のひとつと考えられている[129]。 まず『セーラームーン』が1992年にアニメ化されると、同作のパロディが女性同人誌コミュニティで盛んに作られるようになった[130]。それらの内容は、セーラー戦士・天王はるかと海王みちるのカップリングに代表されるような百合(ただし性的描写を多分に含んでいた[131])であった[132]。社会学者の熊田一雄によれば、吉屋信子以来の 『少女革命ウテナ』の主人公・天上ウテナは、男装した少女であった[125]。従来創作における男装には、例えば『リボンの騎士』(1953年、前出)のサファイア[135]や、池田理代子『ベルサイユのバラ』(1972年)のオスカル[136]などにおけるように、社会的な力を獲得しようとする女性たちの意思が繰り返し描かれてきたが[137][138]、天上ウテナのある種女性的な男装には
そこへ続いた『マリみて』の影響は大きかった[128]。集英社の少女向けレーベル・コバルト文庫から1998年に刊行された[139]『マリみて』は、2003年[注 14]に男性たちの間で大きなブームを巻き起こし、2004年にはアニメ化もされた[129]。俗世から隔絶された男子禁制のミッションスクールで、少女同士が恋愛的な関係(シスターフッド)を結ぶさまに、男性たちは「萌え」たのである[140][139]。 男子として百合を消費する読者や、百合カップルのあいだに入りたいと思っている読者もいれば、女の子の気持ちになって百合に感情移入したり、「できれば女の子に生まれたかった」と感じている読者もいる。BL好きのなかには、女であることを受け入れづらくてBLにハマる人がいるじゃないですか。あれは男性でもありえると思うんですよ。
男性が百合を支持した理由について、熊田は2005年に、社会学者・岩井阿礼の「やおい」に関する実証研究を援用した仮説を提示している[143]。岩井は1995年、「やおい」の女性作家・読者は良妻賢母を理想とするような古い女性ジェンダーと、男女の対等な関係を求める新しい女性ジェンダーとの間で板挟みになっているという調査結果をもとに、彼女たちは 後述する、主人公が女装して女学園に通うという内容の『処女はお姉さまに恋してる(おとめはボクにこいしてる、おとボク)』(2005年、キャラメルBOX)には、『マリみて』ブームの影響が強く見られる[129][148]。物語の流れは、女装した主人公と、主人公を同性の友人として迎え入れた学園のヒロインたちとの間に、やがて女同士としての恋愛感情が芽生えていく——といったもので、日本近代文学研究者の久米依子は、この同性愛的な展開が自然に受容された背景に『マリみて』などのヒットがあったとしている[149]。業界誌『PC NEWS』の編集長(当時)・今俊郎は、アダルトゲーム市場のムーブメントは一般に周辺市場の動向に追随して生じると説明し、『おとボク』のブレイクも決して偶然のものではなかったと述べている[150]。以下は、2010年の森瀬の記事における、ゲームシナリオライター2人の対談の抜粋である。
2005年当時、アダルトゲームでは『おとボク』以外にも女装ものの作品が急速に増え始めていた。ゲームシナリオライターの彼佐真近は、それも『マリみて』という下地があったからこそだと述べている[151]。2000年代の作品では、ほかには『るいは智を呼ぶ』(2008年、暁WORKS)[129][152]や、『花と乙女に祝福を』(2009年、ensemble)[153]などにも『マリみて』の影響が直接指摘されている。 吉本は、女装もののアダルトゲームには百合関係を体験したいという男性たちの願望が反映されていると解説しており、女子校・女子寮潜入を題材とした漫画作品でもそれは同様であるとしている[129]。久米は、主人公が「男の娘」化するのちのライトノベル作品群についても、百合ブームから繋がった『おとボク』などのアダルトゲームの影響を直接に受けたと推測している[149]。日本近代文学研究者の樋口康一郎は、百合文化を受容したオタク男性たちは物語世界の中に男性が登場することを拒否するようになり、少女たちのコミュニティに入り込んで少女たちを鑑賞する存在に自らを同一化させようとするようになったと述べている(「空気系」も参照)[154]。 アダルトゲーム→「アダルトゲーム」も参照
アダルトゲームの市場は1997年の『To Heart』(Leaf)や1999年の『Kanon』(Key)などのヒット以降[155]、『AIR』(2000年、同)など注目作の登場もあり[156]、2002年にかけて急速な拡大を遂げていった[155]。それは業界にさまざまな表現の模索を可能とさせた[155]。「男の娘」キャラクターに本格的な注目が集まったのは2005年、このジャンルにおいてであった[157]。 アダルトゲームの作中に女装した少年を登場させることには、2004年まで賛否両論が存在していた[155]。例えば『はなマルッ!』(2004年、TinkerBell)では、ヒロインの一人が男性であることが発売日まで伏せられていたため、購入した一部のユーザーがメーカーに抗議する事態に発展している[158]。ところが2005年に『おとボク』と『はぴねす!』(ういんどみる)が発売されると、そうした状況は大きく変わった[159]。『おとボク』の主人公・宮小路瑞穂は、祖父の遺言で名門女学園へ無理矢理に入学させられるが、たちまち人気者となり、全校生徒の代表(お姉さま)に選出される[160]( § 百合も参照)。『はぴねす!』の渡良瀬準は、主人公のヒロイン攻略をサポートするサブキャラクターのはずでありながら、女装姿でコケティッシュな魅力を自ら振りまき、物語をけん引していく[158]。瑞穂[148]と準[155]はともに、メーカー公式のキャラクター人気投票で、正規のヒロインたちを差し置いて1位を獲得したのである。 瑞穂と準もまた、性自認を明確に男性とするキャラクターであった[155]。来栖は、瑞穂と準が2000年代半ばを代表する「男の娘」であったとし、2人が同じ年に登場したのは偶然ではなかったという趣旨を述べている[161]。吉本は、瑞穂と準を
暮沢も、瑞穂と準を「男の娘」の歴史におけるエポックメーキングなキャラクターと評している[157]。両者の設定上の差異はまた、「男の娘」キャラクターに豊富なバリエーションが存在することを示していた[162](「男の娘キャラクターの一覧 § 分類」も参照)。 それがいまや、『乙女はお姉さまに恋してる』の宮小路瑞穂や『はぴねす!』の渡良瀬準をはじめ、テレビアニメで堂々と女装少年が活躍し、男性視聴者が普通に「萌える」「好きだ」「結婚したい(笑)」などと言える時代になったのです。
〔……〕 一度入り込んでしまえば、そこには豊穣たる沃野が広がっています。さあ、萌えのフロンティアへの合言葉を、一緒に唱えましょう。「こんなに可愛い子が、女の子のはずないじゃないか!」そして、この2つの作品が2006年にテレビアニメ化されたことで、それまで成年向けコンテンツに触れることのなかった人々にも「男の娘」的なキャラクター類型の存在が広く知られるようになった[163][注 16]。テレビアニメ『乙女はお姉さまに恋してる』(『処女は—』から改題[165])は2006年の全アニメ作品を対象にした「このアニメがすごい! 2007」(宝島社)で13位に入賞し[166]、宮小路瑞穂は第29回アニメグランプリ(徳間書店)で男性キャラクター部門の11位にランクインを果たした[167]。
吉本は、準の果たした役割を特に評価している。メーカー公式サイトで「オカマちゃん」と紹介されていた[168]準のデザインは、瑞穂のような胸の膨らみがなく、肩幅も女性キャラクターよりわずかに広く描かれるなど、全体において目立たない程度に男性らしさを主張するもので、従来の女装少年たちのそれとは一線を画していた[155](吉本はそこに女装ショタの影響を認めている[95])。吉本は、ここにおいてついに「男の娘」の描き方のスタンダードが完成したと主張するのである[169]。
準は「準にゃん」という愛称で親しまれるようになり、2006年のファンディスクでは攻略対象のヒロインに昇格した[168]。2007年には渡良瀬準のオンリーイベント「準にゃん足りてる?」が開催されている[115]。森瀬は、準がアダルトゲームにおける「男の娘」属性確立のターニングポイントとなったと述べている[168]。宮本は、二次元の「男の娘」の確立の基盤となったキャラクターの一人として準を評価している[23]。 『おとボク』と『はぴねす!』のヒットによって女装ものはアダルトゲームにおいてブームを迎え[119][注 17]、『恋する乙女と守護の楯』(2007年、AXL)や『キラ☆キラ』(2007年、OVERDRIVE)などの作品があとに続いた[170]。この動きを受け、すでに『空想女装少年コレクション』(2005年)を出していた[157]一迅社から、『女装少年コレクション ゲーム編』(2008年)と『女装少年コレクション ゲーム編2009』(2009年)が続けて刊行された[119]。2005年後半から2008年前半までに登場した女装少年キャラクターは48人(ゲーム編)であったのに対し、その後2009年前半までにさらに39人(ゲーム編2009、重複1人)が登場する事態となっていた[171]。吉本は、わずか1年で驚くべき伸びを示したと述べ、2008年から2009年にかけて表現の幅が広がりを見せたと分析している[172]。 アダルトゲーム業界が「男の娘」の拡散に果たした役割には大きなものがあった[173][155]。 コスプレ・女装→「コスプレ」も参照
『ストリートファイターII』と『セーラームーン』がヒットすると、日本におけるコスプレイヤーの数は両作品を中心に、1992年ごろから激増を始めた[97]。恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』(1994年、コナミ)が社会現象にもなった1990年代後半には、ギャルゲーやアダルトゲームがコスプレの主な題材として選ばれるようになり、同時期のメイド作品ブームもあって、女性コスプレイヤーたちの人気は『To Heart』(1997年、前出)や『Piaキャロットへようこそ!!2』(1997年、カクテル・ソフト)などに登場するメイドキャラクターへと集まっていった[177]。コスプレ人口の拡大とともに、女性キャラクターのコスプレ願望を抱く男性の数も自然と増えていたが、メイド服は着用が容易で、量販店(例えば、ドン・キホーテ[178])やインターネット通販などで安価かつ簡単に入手できたものであったことから、彼らの一部は実際の女装コスプレへと踏み切っていった[179]。 とはいえそうした女装者たちの外見は、どうしても見苦しいものになりがちであった。同人誌即売会の中には、他者に不快感を与えかねない女装コスプレを一律に排除したりせず、許可制や事前登録制にするなど妥協点を模索したところもあったが、最終的な判断を曖昧な主観に頼ったため、現地の会場などでは参加者同士の諍いも起きるようになった[179]。1990年代末の東京都内では、コミックマーケット(コミケ、コミケット)など少数の例外をのぞき、ほとんどのイベントで女装コスプレが禁止となっていた[179]。前出の即売会「鰤計画」(2002年)と「男の娘COS☆H」(2006年)はともに多くの女装コスプレイヤーを参加させ、そのような状況に一石を投じようとしたものである[113]。しかしながら結局、日本におけるコスプレとは2000年代半ばまで、女性による男装/女装コスプレとほぼ同義のものであり続けた[180]。 クオリティの高い女装コスプレを可能にし、その流行の切っ掛けになったといわれるのが、2007年に一迅社が刊行した初心者向けの女装マニュアル『オンナノコになりたい!』である[181]。同書はムダ毛の処理方法に始まり、女性服の入手手段、髪の毛のカットの仕方、化粧品の使い方などを解説したもので[182]、内容的には従来の指南書の域を出るものではなかったが[183][184]、表紙に萌え絵をあしらったそのデザインは二次元の女装キャラクターに憧れるオタク男性を主な購買層に据えたことをうかがわせるものであった[18]。『オンナノコになりたい!』は女装の情報を求めていた新たな層の手に渡り、大きな話題を呼んだ[183][注 18]。 来栖[188]や椿[18]、女装者・女装研究者のあしやまひろこ[189]らは、『東方Project』シリーズ(1996年 - 、上海アリス幻樂団)の影響も大きかったことを指摘している。ニコニコ動画の本格運用が始まり、『東方』はVOCALOID・アイドルマスターと並ぶ「御三家」の一角として、2008年ごろから爆発的なブームを形成していた[190]。『東方』の男性コスプレイヤーも急増したが、作品キャラクターはほぼ全員が少女の姿をしていたため、彼らのコスプレは多くが必然的に女装コスプレとなったのである[188][18]。伊藤によれば、2009年夏のコミックマーケットでは『東方』コスプレが非常に多かったほか、谷川流原作のアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の女装コスプレも目立ち、イベント会場は多くの女装コスプレイヤーでにぎわっていたという[191](図5)。
この時期、二次元のキャラクターだけではなく、現実の女装男性に対しても徐々に「男の娘」の呼称が使われ始めていた[18][192]。そうした男性たちの女装は、二次元キャラクターの姿を理想としつつも、商業作品のコスプレではない、自己表現としてのオリジナルの女装であった[193]。そこへ、旧来の女装家や女装願望を抱いていた人々の中から、同様に二次元キャラクターを手本にしようとする動きが起こっていった[193]。「男の娘」は女装した男性全般を無条件に指すものではなく、女装者のかわいらしさに対する見る側の評価が重視される言葉である[18]( § 定義も参照)。椿は、 『オンナノコになりたい!』の発売と同じ2007年の8月、秋葉原では女装メイド喫茶「 さらに同じ2007年8月には、モカというトランス女性(トランスジェンダー女性、MtF)により、定期開催の女装イベント「プロパガンダ」も立ち上げられている[117]。mixiコミュニティで告知され、新宿二丁目にある収容人数50人の店で始まった[198]このイベントは、回を追うごとに参加人数が膨らんでいき、やがて国内最大規模の女装の祭典へと成長していく[15]。川本の伝え聞いたところによれば、モカは二丁目特有の側面(ハッテン要素など)を極力排し、「プロパガンダ」をポップな方向へと誘導していった[199]。あしやまは2014年に、「プロパガンダ」はのちの女装ブームの起爆剤となった感があると振り返っている[199]。 『オンナノコになりたい!』のあとには『オトコの娘のための変身ガイド』(2008年、遊タイム出版)[200][155][注 19]や『女の子の声になろう!』(2009年、秀和システム)[202][203]など、同様の入門書が数多く続いていった。伊藤はそのようなものからも、二次元の「男の娘」に憧れて、現実でそれを再現しようとする動きが当時起こっていたことが読み取れるとしている[184]。吉本は、現実の男性に影響を与えたであろう作品として、自身の男性ジェンダーに違和感を持ち、女の子になりたいと願う(と吉本が解釈する)少年をそれぞれ主人公としていた『放浪息子』『ゆびさきミルクティー』(前出)を挙げている[122]。来栖は、子供のころに読んだ『少女少年』(前出)などの影響を受けて女装を始めた者も多かったようだと述べている[59]。 「男の娘」ブーム2006年以降、「男の娘」という概念は次第に認知されるようになり、普及していった[119]( § コスプレ・女装も参照)。アダルトゲームでは、2007年の『ツイ☆てる』(c:drive)公式サイトに「男の娘」の記述が登場する[99][注 20]。ショタアンソロジーでも、2007年末になり「男の娘」という表現が初めて登場する(吉本調べ)[169][注 21]。2008年のメディアミックス作品『オトコのコはメイド服がお好き!?』(ホビージャパン)を分析した吉本は、渡良瀬準に始まった「男の娘」キャラクターの描き方がこの時期には確立していると判断している[169]。 2009年にかけて「男の娘」は急速に拡散していく[169]。2007年にイラスト投稿サイトのPixivが[204]、2008年にTwitter(のちの「X」)日本語版が[205]それぞれサービスを開始すると、多数の一般人がそこで作品を発表するようになっていった[204]。「男の娘」は当時流行しつつあった萌え擬人化などとイラスト作品の相性がよく、インターネット上でブームとなっていった[206]。例えば、オオムラサキを擬人化した茨城県下妻市のマスコットキャラクター「シモンちゃん」は、そのデザインが一新(2006年)されたところ、少女風の絵柄であったにもかかわらず背中の翅の特徴がオスのものであったため、女装した少年ではないかという噂が立った[207]。下妻市は2007年に性別は未定という見解を出したが、それがかえって「シモンちゃん=男の娘」イラストの拡散を煽ることになった[208]。2009年のニンテンドーDS用ゲーム『THE IDOLM@STER Dearly Stars』(バンダイナムコゲームス)の主人公の一人・秋月涼は、女装した少年であった[209]。『GUILTY GEAR XX』リリース時のブリジットと情報の出し方が似ており[210]、男ではないかという大方の予想が的中すると、メーカーの決断を称える声とともに[211]人気キャラクターとして定着した[210]。あしやまは、『ひばりくん』と松本トモキ『プラナス・ガール』(2009年)の対比のうちに1980年代から2000年代に至るまでのパラダイムシフトを見いだしている[212]。かつての大空ひばりは家族以外の人々には本当は男であることを隠さなければならなかったが、『プラナス・ガール』のヒロイン・藍川絆は性別を偽らずとも学園のアイドルとして受け入れられる[106][213]。あしやまは、「かわいいは正義」が(2000年代において)作品のシンプルなテーマとして通用するようになったと述べている[212]。 2009年5月、三和出版から成年向けの女装男性専門誌『オトコノコ倶楽部』(のちに編集者の井戸が独立し[214]『オトコノコ時代』(マイウェイ出版)へと改題[215])が刊行され[216]、創刊号はマニア誌としては異例の発行部数を記録した[214][注 22]。井戸は後年、「男の娘」という語を当時頻繁にインターネットで見かけるようになっていたとし、 東京の女装文化の中心は1990年代までは新宿であったが、「男の娘」文化の中心となったのは秋葉原であった[220]。2009年5月、雲雀亭からスタッフの「茶漬け」が独立する形で、同地に「男の娘カフェ&バー NEWTYPE」が開店した[221]。常設の店舗となった[222]「NEWTYPE」は、男性向けの女性用メイク講座を開いたり[186]、店員の写真集やDVDを発売するなどして秋葉原の女装文化の中心的な存在になっていった[223][注 23]。2009年以降「男の娘」に関するメディア報道が増えていったが(図6)、それらの多くが「NEWTYPE」を取材したものであった[169]。 2009年11月には、化粧した男性たちが美しさを競い合うイベント「東京化粧男子宣言!」の第1回が東京都荒川区で開催されている[224]。主催は『オトコノコ倶楽部』第1号の表紙を飾った井上魅夜[225]。司会は女装タレントのいがらし奈波[226]。ニューハーフAV女優の月野姫[226]や、ミス・ユニバース・ジャパン主催企業社長(当時)の谷本龍哉、漫画家のいがらしゆみこ、三橋[227]らが審査員を務め、これもテレビ局の取材を受けた[228]。 女装コスプレでは、2011年のオリジナルアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』などが支持を集めたほか、『東方』の人気も安定(2011年時点)していた[188]。また、複数の大学で女装コンテストが活発に開かれるようになった[229]。2011年には川本が確認しただけで、東京大学・電気通信大学・東京工業大学(のちの東京科学大学)など6校でコンテストが実施されており、参加者の大半はオタクであったという[230]。筑波大学は2005年に[108]つくばエクスプレスで秋葉原と結ばれ、川本によれば2014年当時最も盛んに女装がおこなわれる大学となっていた[231]。女装の流行は彼らを中心として若年層に広がり、インターネットには若い男性の女装画像が大量にアップロードされるようになっていった[232]。Twitterでは「#女に見えたらRT」などというハッシュタグが使われていた(2013年時点)[233]。 比較文化研究者の佐伯順子がおこなった調査によれば、「男の娘」「女装子」の新聞メディア初出は、2010年1月27日付け[注 24]読売新聞の以下の記事である[234][注 25]。
NHKの英語ニュース番組『NEWSLINE』は2010年2月、こうした日本の現象を「Boys will be boys?」と題して世界百数十カ国に向けて紹介した[236]。コメント出演の依頼を受けた三橋によれば、驚いた三橋がそのようなニュースを流して大丈夫なのかと確認したところ、番組のディレクターは そしてこの年には「男の娘」の一般向け専門誌も2誌創刊された[239]。月刊漫画誌の販路を確立していた一迅社の『わぁい!』と、実話・実録系方面から参入したミリオン出版の『 さらに両社からは、「男の娘」漫画のアンソロジーと単行本が大量に出版された[242]。すでにスクウェア・エニックスの出版部門が先行しており、両社やエンターブレインがあとに続いた格好であった[222]。成年向けの「男の娘」漫画も発行点数が増えた[242]。成年向けの領域では、1990年代末にショタアンソロジーで執筆していた作家たちが担い手の一翼になっていた[242]。前出のショタアンソロジー『少年嗜好』と『好色少年のススメ』は、それぞれ「男の娘」アンソロジー『オトコのコHEAVEN』(2007年、司書房→メディアックス[239])と『好色少年』(2012年、茜新社)へと受け継がれ、この両誌が2010年代をけん引していった[246][247]。さらに、性転換もののアンソロジー『チェンジH』(2009年、少年画報社)など、隣接する領域も活性化した[242]。 アダルトゲームではおとこの娘倶楽部のような専門ブランドも設立され[248]、女装ものの年間発売本数は2010年と2011年にそれぞれ42本(吉本調べ)にも達した[119]。当時「男の娘」キャラクターを演じることの多かった声優の民安ともえは、『女装少年ゲーム大全:2009-2011』(2011年、ミリオン出版)をもとに、「男の娘」がヒロインを務める作品が2011年に増えたと分析している[249]。全ヒロインが「男の娘」という内容の『女装山脈』(脳内彼女)は同年のヒット作であり[207][250]、萌えゲーアワードの話題賞を受賞した[99]。翌2012年に発売された女装潜入もの『月に寄りそう乙女の作法』(Navel、前出)は同アワード最高の賞である大賞を受賞した[251]。
「男の娘」は文字媒体との親和性も高かった。作者が「男」として書けばどのような容姿・性格の人物でも男ということにできたからである[9]。2010年ごろに大量生産・大量消費の時代へと突入したライトノベル業界では、「男の娘」は競合作品に対する差別化ポイントのひとつとして重宝されるようになった[254]。2009年の論稿で、ライトノベルに メディアミックスはすでに一般的になっており、アニメにおいても「男の娘」は数を増やしていった[261]。吉本は、代表的な作品として『ハヤテのごとく!』(2007年)などを挙げている[211]。アニメ雑誌『娘TYPE』の2011年5月号は、ブームの火付け役・けん引役として『バカテス』(2010年にアニメ化)の秀吉を取り上げている[262]。来栖は、2011年の主な作品として『放浪息子』や『まりあ†ほりっく あらいぶ』、『STEINS;GATE』(原作は5pb.のXbox 360用ゲーム[263])などを挙げ、同じクールに複数の「男の娘」キャラクターが登場したこともあったと報告している[264]。『STEINS;GATE』の漆原るかに対する 2011年5月[267]、ドワンゴと提携した井上魅夜により、ニコニコチャンネル内に『男の娘☆ちゃんねる』が立ち上げられ、主力コンテンツのパーソナリティには女装タレントの桜塚やっくんらが起用された(ほかはモカ・「茶漬け」など)[268]。バラエティ番組『スッキリ!!』(日本テレビ)などは、2011年9月に「男の娘」特集を流した際、テロップの「男の娘」に読み仮名を振ることをもはやしていなかった[173]。2012年には実写映画『僕の中のオトコの娘』(窪田将治監督・脚本、モントリオール世界映画祭などに出品[269])も公開されている[270]。アダルトビデオではニューハーフとは異なる身体未改造の男性が「男の娘」として売り出されるようになった一方[18]、ニューハーフヘルスの中からもキャストを「男の娘」として売り出す店が出てきた[114]。関西の女装ブームの中心は大阪であった[271]。千日前の味園ビルで2008年に始まった女装イベント「ウルトラ・エクセレント」は2013年ごろから活況を呈するようになり[272]、井戸により、キタ(梅田周辺)を中心とした旧来の女装世代と、ミナミ(千日前や難波周辺)の「男の娘」世代とで南北の分断が起きていると評された[273][注 26]。 50人の会場でスタートした「プロパガンダ」は、より大人数の参加者を収容するため、新宿の中で次々に開催場所を移していった[274]。川本著『「男の娘」たち』(2014年、河出書房新社)には、2012年当時の様子が次のように記されている。
「男の娘」ブームは2008年から2014年ごろにかけて続いた[275]。吉本は、爆発的なブームが観測されたのは、二次元では2012年から2013年にかけてであったとしている[276]。井戸は、2013年ごろには勢いが落ち着いていたと語っている[277]。来栖は、文化として最も活気があった時期は2009年であったと述べている[194]。 成立の背景文化・歴史的背景2005年の熊田著には、ユダヤ・キリスト教文化圏から日本を訪れる人が、テレビ番組のオネエタレントを見て驚くというのは珍しくない話だということが書かれている[278]。旧約聖書には 日本における女装した少年の起源を遡ると、『古事記』(712年)および『日本書紀』(720年)のヤマトタケルにたどり着く[281][282][283]。ヤマトタケルは叔母から贈られた「 女人禁制を建前とする仏教界は男性同性愛文化の温床であった[284]。また、女装芸能が発祥した場所でもあった[285]。日本の中世寺院社会では稚児とよばれた女装の少年が僧侶の男色の対象とされていて[286]、儀式の場では延年などの芸能を披露していた(その模倣が白拍子である)[287]。やがて延年や、猿楽・田楽などを源流とし、性別越境を特徴とする能や、阿国歌舞伎が生まれる[288]。1629年、江戸幕府により遊女歌舞伎が禁止されると、少年が主演する若衆歌舞伎が盛んになり[289]、そこから近世歌舞伎の女形が発生していく[279]。歌舞伎の世界では、端役さえ与えられず舞台に立つ機会のない者を「陰子」とよんだ[290]。陰子たちは生計のために茶屋で色を売るようになったと考えられており、陰子を含む茶屋の女装少年たちはやがて「陰間」と総称されるようになった[291]。フランスなどとは対照的に、18世紀前半の日本の三都(江戸・京・大阪)では、陰間の接客する陰間茶屋が最盛期を迎えつつあったのである[280]。 西洋には女装を肯定的に描いた作品がアジア地域と比較して少ない[292]。日本では宗教上の制約などがなかったこともあり、異性装を題材とした作品が古くから多く見られる[293]。森瀬作成の「男の娘」年表[52]・あしやまの論稿[106]などから例を取ると、オリジナルが散逸し、改作のみが伝わった『とりかへばや物語』(作者不詳、平安時代末期)はそのようなジャンルでは先駆的と評されるもので、のちの数々の作品にも影響を与えている[294]。『南総里見八犬伝』は、1814年から1842年にかけて曲亭馬琴が著した長編伝奇小説である[295]。里見家復興のため活躍する八犬士のうち2人は女装しており、特に犬坂毛野は八犬士中随一の人気を集めた[296]。三橋は、これは馬琴が江戸庶民の嗜好に合わせた側面もあったと推測している[297]。
日本にキリスト教規範の影響が及び、性別越境者に対する差別が強まったのは明治時代前期(1870年代 - 1880年代)以降のことである[298]。文明開化の旗印のもと、異性装は違式詿違条例という法令で一時期禁止されていた[299]。西洋の精神医学も異性装文化に影響を与えた。1886年にドイツの精神科医クラフト=エビングが『性の精神病理』を著し、日本にも紹介されると[300]、これが元となった通俗性欲学が大正から昭和初期(1910年代 - 1920年代)にかけて広まっていく[298]。それによれば「女性的男子」とは変態性欲という精神病の小分類のひとつであり、その 第二次世界大戦後、日本の性別越境文化は抑圧から解放されていく[305]。終戦間もない時期には女装した男娼が上野などの街頭に立ち、1950年代には丸山明宏(その後美輪明宏に改名)に端を発したゲイ・ブームが到来する[306]。ゲイバー世界は男性同性愛者と女装者が混在するものであったが(「女装子」という言葉が後者に対する蔑称として生まれたのはこの時期である)、1960年代から1970年代にかけて両者の住み分けが進んでいった[307]。1970年代にはピーター(池畑慎之介)がスターとして活躍した[308]。美輪やピーターは、例えば『玉三郎恋の狂騒曲』(1972年、前出)の主人公・楡崎玉三郎のモデルにもなったと目されている[309]。この時期にはまた、イタリア・フランス合作映画『ベニスに死す』(1971年)に出演したビョルン・アンドレセンの影響もあり、竹宮恵子『風と木の詩』(1976年)や、魔夜峰央『パタリロ!』(1978年)といった少女漫画作品に多くの女装少年が登場している[308]。1980年代には、男性のホステス・松原留美子がポスター企画「六本木美人」のモデルとして起用されたことが契機となって、ニューハーフブームが発生した[310]。『ひばりくん』はこのブームを背景として作られた作品であり[311]、逆にそのヒットを受けて「ひばり」を名乗った女装者も多くいた[8]。そして1988年にバラエティ番組『笑っていいとも!』(フジテレビ)でニューハーフのコーナーが始まると、1992年ごろから1995年ごろにかけて多くのニューハーフがテレビ番組に出演し、オネエタレントとして活動するようになっていった[312]。 稚児や陰間などの女装を重視していた伝統的な文化は、21世紀初頭の時点では新宿や六本木のニューハーフパブ、新宿歌舞伎町周辺の女装コミュニティ(セミプロの世界)などに引き継がれている(対して、主に新宿二丁目周辺の女装を必要としないゲイのコミュニティが汲んでいるものは衆道の流れである)[313]。三橋は、三次元の「男の娘」もそうした性別越境文化の長い伝統に連なるものであり、21世紀の特異現象などではないと主張している[314]。佐伯は、「男の娘」はアニメや少女漫画といったポップカルチャーと強く結びついたまったく新しい女装現象であるとしつつ、それが性別越境の手段ではなくコスプレの一種であったことが江戸時代以前の社会的寛容への接続を可能にしたと考察している[315]。 インターネットは重要な役割を果たしたとされている。かつては本格的な女装を始めるためには、ニューハーフパブなどの世界や女装コミュニティに入るなどしてやり方を学んでいくのが一般的であった[210](アマチュア女装者はまた、エリザベス会館などの女装クラブにも集まった[316])。「プロパガンダ」の主宰をモカから引き継いだ西原さつきは、インターネットの普及により女装に関する情報が簡単に入手できるようになり、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などで仲間と交流しやすくなったことに加え、「男の娘」という言葉が登場したことで女装がポジティブでカジュアルなものに変わったと述べている[317]。『マンガで振り返るオトコノコ10年史』(2020年、三和出版)は、写真編集アプリの登場と、Instagram(日本でのサービス開始は2014年)などにおけるような「盛る」文化の興隆がそのような動きに拍車を掛けたとしている[318]。井戸も、次のように、若者が女装の方法をインターネットで学べるようになったことなどが大きいと述べている。
来栖も、三次元の「男の娘」文化は動画配信のようなインターネットの双方向メディアと相性が良かったと述べている[319]。二次元の「男の娘」の成立にもインターネットは必要不可欠であった[58]( § 「男の娘」ブームなども参照)。 そのほかには、市販化粧品の品質が向上したことも三次元の流行の大きな一因となっていた[320]。また西原は、日本人はもともと骨格の男女差が小さく、女装向きの民族であったことも手伝ったと指摘している[320]。三橋も、西原の言うような傾向が2012年時点で以前より顕著になりつつあると述べている[321]。 メカニズム(二次元)「男の娘」を主人公に据えた『おとボク』の登場に対し、評論家の本田透が同年中に考察をおこなっている。主人公の宮小路瑞穂は『マリみて』を彷彿とさせる女学園に女装して編入し、女生徒たちと親睦を深めていく。そこでははじめ友人関係が結ばれ、それが百合関係に発展し、最後に男であることが露見して恋人関係になる[322]。本田が着目しているのは、従前に結ばれた対等な対としての関係が、新たな関係に進展したあとも、
というように継続する点である(図7)[323]。瑞穂はまた、物語の視点人物でありながらしばしば画面上にその姿が映し出される[324][148]。本田は、主人公が女装することで主人公に感情移入するプレイヤー自身が「萌え」の対象になっていると指摘し、 ところで、男性が女性キャラクターに感情移入するにあたっては外見と性感の乖離が障害になるはずであった[151][10]。その点について、同じく『おとボク』の人気を分析した椿は、永山の以下の講演内容[注 27]を援用しつつ、宮小路瑞穂(一般に主人公タイプの「男の娘」)はプレイヤーにその乖離を乗り越えさせるため、必然的に男性器が描写されているものだと主張している[10](「ミラーニューロン」も参照[326])。
椿は同時に、批評家・東浩紀のアダルトゲームに関するアイデア[注 29]を借りて、以下のように整理している。「男の娘」が主人公となるゲームのプレイヤーは、気持ちよくなる女性の立場に加え、服従させる男性の立場へも同時に感情移入しており[173]、男性器の描写がそれを可能にさせているというのである[10]。
同様のことを2005年の時点で彼佐がすでに指摘している。百合文化を受容したアダルトゲームのプレイヤーは美少女同士のシスターフッドに憧れるものの、感情移入するキャラクターが女性であっては感覚の乖離が生じてしまう。また男性として挿入することもできなくなる[151]。彼佐は、そのジレンマを女装少年は簡単に乗り越えてしまったと述べたうえで、男性プレイヤーも「やおい」を楽しむ女性と同じように「受け」側(特に後輩ヒロイン)に感情移入しているのではないかという仮説を立てていた[151]。 椿は、「男の娘」が攻略対象となるゲームにおいてもプレイヤーは男性的に解離していると述べている[10]。永山が2014年になって「男の娘」漫画に関して示した見方も同様である。ショタ漫画の男性読者が「攻め」と「受け」の両方に感情移入していることはすでに解明されていた[328](やはり男性器がポイントとなる[329])。永山は、ショタが一般向けに浸透したものが「男の娘」である以上、それはオートエロティシズムの文脈で読み解くと理解しやすいと説明している[239]。来栖は、(成年向け媒体における)「男の娘」の魅力は、少女の外見をしているにもかかわらず男性器がある点に集約されると断じている。 準の見た目はまさに美少女である。内面は、女性よりも女性的な面を持っている一方、男の心も忘れていないとされている。準はまさに「男の娘」と呼ぶにふさわしいキャラクターであった。主人公にとって、恋愛の相談相手になる一方、それでいて男性の心も分かる。男性にとって、非常に都合の良い存在なのだ。
一方、男性器を露出させない(多くは)一般向けの「男の娘」には、こうした欲求・感情移入の形を当てはめることができない[163]。椿は、登場キャラクターの性別が男と女の二つに単純に分かれていた従来のハーレムものなどにおいては、両性のキャラクター間に発生する感情はお定まりな恋愛感情だけであったと指摘する[163]。「男の娘」はそこへ、男性でも女性でもなく、しかし同時に男性でも女性でもある存在として投入され、
といった役割を務めるようになった[331]。椿は、これらによって生み出されるキャラクター関係のダイナミズム・関係性の多様さこそが、脱がない「男の娘」の作品にもたらす魅力なのではないかと考察している[331]。このことは女性向けの作品、特に「やおい」に通じるものがあるという[332]。 水野は、オタク男子を対象としたインタビュー調査をおこなっている(発表は2011年)。「男の娘」の魅力とは何かという質問に対し、ある19歳の男子高専生は要旨次のように回答したという[333]。
この学生は女性に対して距離感を持っているが、性的指向は異性愛であるため男性グループの中にいるだけでは満足できない。水野は、安心できる同性でありながら女性的なかわいらしさをあわせ持つ「男の娘」キャラクターが、インタビュイーのジレンマを解決する存在になっていると分析している[334]。 社会的背景
「かわいい」の氾濫の:〔……〕昔は男性に対してかわいいって褒め言葉じゃないんですよね。
福:もっと男らしくしろ! っていう時代だと。むしろ辱めだよね。 〔……〕 福:今だと「かわいいは正義!」なんだよね。一億総かわいい化の流れなんです。〔……〕の:男でもかわいくなっていいんだっていう世の中になったから、女装が増えたんじゃないかな。 三橋が最も重要と指摘している背景は、女装に対する男性たちの価値観の変化である[335]。かつての男性上位社会においては、女装には「下降」のイメージがつきまとっており、マゾヒズムとも無縁ではなかった[335]。しかし第二次世界大戦後、男性優位主義的な価値観は崩壊の一途をたどり、旧来文化から「かわいい文化」へのパラダイムシフトが生じた[336]。元来女性や子供向けのものであった「かわいい」という言葉が、「きれい」「愛すべき」、「素敵な」「優れた」といった肯定的な意味たちを次々に獲得し(英: kawaii)、男性たちの領域にまで広がっていったのである[337][336]。これは高度経済成長が終わり、生産者主導型(男性型)の消費社会が消費者主導型(女性型)のそれへと移行していく、1970年代中ごろから1980年代にかけての顕著な動きであった[337]。三橋は、男女雇用機会均等法(1986年施行)の定着なども経て[338]、日本人は男性的な文化よりも女性たちの「かわいい文化」のほうを上位に感じるようになったと説明している[339]。三次元の「男の娘」たちの根幹には 男という役割の重圧自らが女性に扮して彼らから性的な目線で見られる時、私は男性としての評価の外にいることができた。男性の評価とはつまり、社会的地位、収入の多寡によって決まるものだ。〔……〕なんの仕事をしているの? 年収いくら? 男性として生きるということは、常に働き続け、世間からの評価を勝ち取り続けることだ。
バブル景気(1985年11月 - 1991年2月[343])の崩壊に、男女によるパイの奪い合いも重なって労働条件は悪化し、男性の収入は減少していったが[344]、その一方で「男は仕事、女は家庭」といった戦前からの考え方(性別役割分業)は社会に残り続けた[344][345]。毎日新聞は2013年、三次元の「男の娘」の背後に 負担になる「男らしさ」21世紀の最初の20年間、日本では若い世代の約40 - 50%(キンセラ)が、異性との恋愛・結婚・育児という普通の人生からほぼ全面的に排除されてきた[348](図9)。キンセラは、そのような受難の時代と「男の娘」現象は広く関連しあっていると論じ[348]、この新しい文化は二つの方向から検討できるとしている[349]。ひとつの方向性としては、ある程度のルックスに恵まれている場合、ともかくも男性は社会の変革に適応しようとすることができる。それが三次元の「男の娘」であるという[349]。 そして、キンセラが その他の背景三橋・椿らが着目している背景として、ほかに性同一性障害(性別違和、性別不合)の認知の広がりがある。1995年、それまでもっぱら「性的倒錯」という肯定的でない訳語があてがわれていた「transsexualism」の概念が、前年のハリー・ベンジャミン国際性別違和協会の決定にのっとり、「性同一性障害(gender identity disorder)」として一般にも認知されるようになった[354]。性別を越えて生きたいと願うことを精神疾患だと捉えるこの概念はメディア(例えば、上戸彩が当事者生徒を演じた『3年B組金八先生』第6シリーズ(2001年、TBS)[355]など)で大きく取り上げられ、ニューハーフパブや新宿コミュニティなどの女装文化に再び打撃を与えた[356]。一方で、性同一性障害への取り組みには医療による女性化を重視し、性表現やファッション、化粧といったものを軽視するきらいがあった[220]。三橋は、「男の娘」ブームにはその反動という側面もあったと指摘している。気楽に性別を乗り越える(と三橋が主張する)「男の娘」にメディアが飛びついた面が大きいというのである[220]。椿も、性同一性障害の広まりに、ファッションの女装文化としての「男の娘」が接続した面があるとみている[18]。 もうひとつ、永山・吉本が指摘している背景として出版物の成年マークがある。遡ること1980年代初頭、それまで劇画タッチで描かれてきた成年コミックを「かわいい」アニメタッチで描くという転換がおこなわれ、いわゆるロリコン漫画ブームを形成した[357]。1988年から1989年にかけて東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生し、容疑者がロリコンのオタクだと報じられると、男性向け成年コミックには猛烈な批判が向いた(有害コミック騒動)[358]。この騒動は出版各社が区分陳列のための成年マークを自主規制として導入することで一応の決着をみる[359]。ところが、冬の時代を迎えたかに見えた業界は[360]、その後逆に「成年マーク・バブル」(永山 2014, p. 102)に沸くことになった[361][87]。永山の調査によれば、1990年代中・後半のほぼ全期間にわたり、年間1,000冊を超える成年コミックの出版ラッシュが続いたという[362]。この主な要因は、永山・吉本によれば、いつ本当に規制されるかわからないという飢餓感や[363]、成年マークが逆にエロ本であることの保証となったことなどであった[87][注 30]。急拡大した成年コミック業界はロリコンに続く新しいエポックを模索し、そのひとつとしてショタアンソロジーのブームを発生させた[362][364]。これがブリジット[59][95]や渡良瀬準などのブレイクへと接続して「男の娘」の最大の源流とも目されるものになった[95]ことについては、 § ショタを参照のこと。 ブームの収束2015年時点までに「男の娘」ブームは全体としてピークを過ぎ、ひとつの収束を迎えた。当時の井戸はそれを 2013年5月にミリオン出版の『おと☆娘』が休刊に追い込まれると、その9か月後の2014年2月には、『わぁい!』の一迅社も専門誌市場からの撤退を余儀なくされるに至った[266]。椿は、少ないパイを両誌がおそらく奪い合ってしまった結果、売り上げが低迷したことを休刊の大きな要因として指摘している[366]。井戸は、見るべき作品が両誌から生まれなかったためだとしている[217]。両誌の漫画作品のうち『ひめゴト』だけが他誌へと移籍して連載を続行したが、それも2015年7月の単行本が最終巻となった[240]。 成年マークのつかない一般向け「男の娘」コミックの刊行点数は2012年にピークを迎えたが、専門2誌が休刊し、付随するアンソロジーも終了すると、2014年には急激に数を減らした[367]。吉本は、2015年時点で一般向けコミックでのブームは終了に向かっていると判断しているが、成年コミックでは一般向けでの供給減少を補うような形で好調が持続していると述べている(図10)[276]。 アダルトゲーム業界では『おとボク』がヒットした直後の2005年の時点で、すでに彼佐などが「女装」と「美少年」以外の新たな要素が必要になってくるだろうと予測していた[151]。さらに、以下のようにブームの早期終焉を危惧する声が上がっていた。 2009年には、『はぴねす!』を企画した「ちゃとら」も、女装キャラクターが必然性なくゲームに登場することが渡良瀬準以降増えたと不満を語った[369]。結局2015年になり、アダルトゲームでは明らかにブームが終了に向かっていると吉本は結論した(図11)[276][注 33]。同年には、『女装山脈』(前出)などのディレクションを手掛けた西田一も、 井戸は、ブームのころに面白いコンテンツがあまり出てこなかったと述べている[217]。椿は、「男の娘」が有名になり、市場がその粗製濫造品であふれかえった結果、オタクたちが単純に飽きてしまったという可能性を指摘している[372]。来栖も、「男の娘」の作品数が増え、単なる萌え属性としても使われ始めた結果、
吉本は、二次元における「男の娘」ブームは全体としてピークを過ぎたとの見解を示しているが、「男の娘」を性的に愛好する動きは、成年コミック(図10)とコミックマーケット(図12)における増加傾向から2015年時点で続いていると判断しており、以降も安定していくと予想している[375]。成年向け漫画の一般として、 パーソナリティであった桜塚が2013年10月に事故死したこともあり、『男の娘☆ちゃんねる』は2014年1月に名称を『Trance Japan TV』と改め、トラニーチェイサー(トランスジェンダー愛好者のこと[377])番組として再スタートを切った[378]。『オトコノコ時代』は10号で終了となった[277]。「プロパガンダ」も2016年3月に9年間の歴史に幕を下ろした[379]。ブームのうち特に旧来の女装界隈が主体となっていたものについて、井戸は報道と実情の乖離を肌で感じていたとし[380]、次のように振り返っている。
オタクの女装ブームについても、2014年の時点で終焉が近いという報告がなされている[381][382]。そうした一方で吉本は、2015年時点で三次元の「男の娘」にも定着した印象があると述べている[2]。椿も、「NEWTYPE」が2015年時点で依然定期的にメディアで取り上げられていることなどを挙げ、
ブームが収束したことに関し、来栖・井戸・吉本らが2015年に以下のように述べている。来栖は、「男の娘」的な文化はこれまでもおよそ10年おきに何度か発生してその都度消えていったとし(表3)、ブーム再来の可能性は充分にあると主張している[383](三橋は、繰り返されてきた流行現象の 評価・影響「男の娘」は、2010年の新語・流行語大賞にノミネートされた[215][注 34]。この語の広がりを受け、ニューハーフAV女優の橘芹那や漫画家の幾夜大黒堂は、 「男の娘」ブームの興味深い特徴は、二次元と三次元の盛り上がりが同時期に発生したところにある[391]。ブーム期の雑誌のつくりにも象徴されるように、二次元の愛好者は三次元の女装当事者でもありえ、そこではフィクションと現実世界の問題が密接に関わってくる[392]。井戸は、二次元と三次元の「男の娘」はブーム期において相互に影響しあいながら、同じような流れをたどった面があると述べている[393]。 二次元主として美少女(英: Bishōjo)キャラクターを礼賛・消費してきた日本のオタク文化は、2000年代にあって、フェミニズム[257]やバブル的恋愛観(恋愛至上主義)を是とする立場[394]からの徹底的な批判に晒されていた。そのさなかにロリやツンデレ、妹などと並ぶ萌え属性として登場した[395]「男の娘」は、少女ではなく少年のキャラクターであるという点において驚きをもたらすものであった[257]。オタク男性たちは少女を欲望の対象とすることからついに脱却しつつあるものと受け取られたのである[257]。泉は、「こんなかわいい子が女の子のはずがない」(=男の子だからこそかわいい)といったような常識の逆転そのものが、知的な興味の対象にされたのではないかと考察している[396]。第一に提示された魅力は既成概念からの「ギャップ」であった[397][387]。批評家の石岡良治は2019年に、「男の娘」が登場するハーレムもののライトノベルやアニメ作品では、そのキャラクターがヒロインたちの誰よりもかわいいという設定が定番になったようにも思えると書いている[398]。 一方で、暮沢[26]・水野[399]・樋口[257]らは、実際にはこの表象はツンデレや妹を愛好してきた従来のオタク文化の延長として出現したものにすぎず、オタク男性たちの性的指向が本質的に変化したことを示しているわけではないと指摘している。斎藤も、「萌え」の基本文法であるところのギャップを性別に応用したにすぎないものが「男の娘」であるとし、実際にオタク男性の間でゲイが増えたわけではないと語っている[400]。泉は、(三次元も含め)「男の娘」は 準自身は主人公のことが好きなようだが、自分で立ち入る限界を設定し、主人公の恋路をサポートする側に回る。準は攻略対象ではないのが、重要なポイントである〔……〕。攻略対象でない、つまり性的関係の対象ではないために、どろどろした関係にはならないし、男同士の性行為という描写も回避することができる。また、恋愛関係にならないことによって、準は主人公とプレイヤーにとって、ちょうどよい距離を保つことができるようになるのだ。
前述のインタビュー調査をおこなった水野は、
→フェミニズムにおける以上のような考え方については「ホモソーシャル」を参照
これらに対しまず、二次元の「男の娘」が本質的には少女であり、非成年向けのジャンルにおいてオタク男性たちは旧来の異性愛規範から一歩も出ていないという点については、否定的な意見がいくつか出されている。堀は、2016年の『ひばりくん』に関する論稿の中で、男性読者の欲望は異性愛の単なる延長ではないという見方を示している[403]。作者の江口は当時のラブコメに対するアンチテーゼとして『ひばりくん』を描いた[311][404]。男性読者の異性愛規範とホモフォビアにより、主人公と大空ひばりの関係はギャグとして笑い飛ばされるはずであった[405]。堀はしかるに、読者は『ひばりくん』を純粋にラブコメとして楽しんでいたとし、大空ひばりの「かわいい」には江口の想定した規範意識を攪乱するほどの威力があったと述べるのである[406]。泉も、恋愛ものの「男の娘」作品の一般として、発動するホモフォビアを「かわいい」が乗り越えさせると説明している[407]。吉本は、二次元の「男の娘」により オタク男性が作品キャラクターを依然一方的に「消費」「まなざ」しているという批判に関しては、そもそも複数の専門家が「男の娘」には受け身(消費される側)になりたいという男性の願望が反映されていると指摘しているところ( § メカニズム(二次元)および § 社会的背景を参照のこと)、『おとボク』の非性的な側面の考察からも対立する意見が出ている。本田の指摘によれば、『おとボク』のヒロインたちは主人公・宮小路瑞穂の友人的な存在であり、むしろ〈瑞穂=瑞穂に感情移入するプレイヤー自身〉こそがプレイヤーの「萌え」の対象になってくる[409]。「男の娘」の内面を描いたものと認知され、高く評価されている作品も存在する。例えば『放浪息子』は性別に違和感を抱く2人の少年少女を中心に思春期の繊細さを描き出した作品であり[410]、「萌え」やコメディに重点を置いた女装少年コミックとは一線を画すと評されている[120][411]。ふみふみこ『ぼくらのへんたい』(2012年)は異なる理由で女装している3人の少年を詩的に描いた群像劇であり[411]、来栖[412]・井戸[413]らによって特筆すべき作品とみなされている。(なお、実際には女性も「男の娘」を「消費」「まなざ(女性のまなざし)」す主体になっている[414][注 35]。吉本はボーイズラブでいうところの「性別受」と「男の娘」の類似を指摘している[415]。) 2013年、ライトノベルのキャラクターを調査した久米は、客体としての「男の娘」(代替少女型)と、主人公が女装する「男の娘」(ここでは「主人公型」とよぶ)を区別することの必要性を訴えている[416]。代替少女型(楠幸村、木下秀吉など)においてはギャップが旧来のジェンダー秩序を補強している一方、主人公型(瀬能ナツル、白姫彼方など)においてはミソジニーではなくミサンドリー(男性嫌悪)が観測されるというのである(表4)[417]。久米は、男子読者の女装して少女コミュニティの一員になりたいという願望は、
三次元三次元の「男の娘」の出現は、二次元のイメージの具現化[12]、現実と二次元の逆転[184]などとして注目を集めたと同時に、女装者に対する世間の印象を動かした[426][427]。それ以前、日本人が女装男性と聞いて多く思い浮かべるイメージは、テレビ番組に出演するステレオタイプなオネエタレントの類いであった[427]。「男の娘」はそこへ、例えば大島・あしやまが
1960年代に始まった男性向け化粧品の市場は、2010年代に急速な拡大を遂げた[437]。2018年にリクルートライフスタイルがおこなった調査では、10代・20代の男性の約10%が日常的にファンデーションを購入するようになったという結果が出ている[438]。各種化粧品の使い方が解説された『完全女装マニュアル』(2014年、三和出版)が「男の娘」たちのバイブルになっているという報告があるように、服装だけでなく化粧もまた重要な女装技術であり、「男の娘」は化粧品各社がこの市場を開拓していったうえで重要な役割を果たしていた[437]。キンセラは、2015年に公開された資生堂のウェブCM「High School Girl? メーク女子高生のヒミツ」を、「男の娘」のジェンダー曖昧性の、商業利用における完璧な結晶と評している[437]。 三次元の「男の娘」を愛好する人々には女性も多く含まれる。「東京化粧男子宣言!」の観客は女性が中心であった[439]。「NEWTYPE」の客層にも女性は多い[197][注 36]。『セックスペディア』によれば、女性たちにとり「男の娘」とは人形のように愛でてかわいがる対象であり、気の合う同性の友人のような存在であるとされる[28]。彼らの魅力のひとつとされているのはやはりギャップである。大島が解説するには、女装のレベルを上げて「女らしさ」(女性性)を高めすぎてしまうと「男の娘」ならではの魅力が損なわれてしまう。そこで言葉遣いを男らしくするなどの工夫がおこなわれるという[441]。井戸によれば、「男の娘」の女性ファンの多くは腐女子である[442]。
「男の娘」と、ゲイやトランスジェンダーといった性的マイノリティの内面の違いについていくつかの考察がなされている。まず、女装者の分類としては三橋(表5)や、フリーペーパー『季刊性癖』発行者の水の人美・まゐ(表6)によるものなどがある[433]。三橋によれば、従来のコミュニティに集っていた女装者の大部分は「性別違和感型」(表5)に該当するという[445]。三橋は2012年、「男の娘」が将来的に第3の性別に相当する存在となり、性別二元制や生物学的決定論、ヘテロセクシズム(強制的異性愛)などを揺るがしていくことへの予感と期待感を表明している[446]。 一方佐伯は、前述したように「男の娘」が性別越境を目的としたものとはみていない[447]。あしやまも、秋葉原に主として集う女装者については、その有する傾向は「自己陶酔型」(ナルシシズム型)「自己表現型」、あるいは「フェティシズム型」「性的欲求解消型」(表5, 6の※)ではないかと考察している[448]。キンセラは、2015年の大島のインタビュー記事における、「『男の娘』とは、必ずしも女性的ではない純粋な『かわいさ』への欲望なのではないか」(要旨)というインタビュアーの発言を特に紹介している[449][注 37]。マイウェイ出版のある編集者は、
キンセラは、「男の娘」と新宿女装コミュニティなどの女装家が異なる社会階層に属していることが、 複数の専門家・当事者が「男の娘」たちの承認欲求に言及している[457]。吉本は三次元においても、消費する男性、消費される「男の娘」という立場の違いが無視しがたいだろうと述べているが[2]、井戸によれば消費されることで承認欲求が満たされている当事者も少なくない[458]。田中は、美少女キャラクターに扮する男性コスプレイヤーには男性たちからかわいがられたいという欲求を見つけることができるとし、「男の娘」とは性別への違和感の表明ではなく、女性へのフェティシズムなどでもなく、その本質は欲望の客体となって
教育研究者の杉田真衣は、この現象は「男らしさ」「女らしさ」に本質的な変化が現れたものとは言いがたいとしている[267]。大島は、ギャップが魅力となる「男の娘」という言葉や概念自体が性別二元制の最たるものではないかと語っている[460]。佐伯は、三次元の「男の娘」を 商標問題「男の娘」を自社商品・サービスの商標として登録しようとする動きがある。2010年7月に、電子書籍の販売などを手掛けていた未来少年という企業が「男の娘」を商標出願していたことが判明し、登録されれば「男の娘」という語を名称に含んだ商品を他社が自由に出せなくなるという懸念の声があがった[461]。結果としてこの出願は拒絶されたものの(表7)、今度は2011年9月に[462]、「男の娘COS☆H」から改称した[218]「男の娘☆コンベンション」の関係者が即売会イベントの名称である「男の娘☆」を商標登録していたことが判明する[38]。やはり占有とみなされ批判を呼んだが[38]、そのままの「男の娘」が登録されたわけではなかったことなどから騒動は収束に向かった[373]。 「男の娘」そのものが商標登録されたのは2019年のことである。「NEWTYPE」の運営会社によるもので、商標区分は「飲食物の提供」であった[463]。2020年現在[update]、店舗名称に「男の娘」を掲げる飲食店が関東圏と大阪に複数存在しており、それらに影響がおよぶ可能性が指摘されている[463]。
二・五次元(バーチャル領域)へ→詳細は「バ美肉」を参照
日本では2018年ごろ以降、美少女キャラクターをアバターとして用い、多くはボイスチェンジャーの力を借りて、YouTubeをはじめとする動画配信サービスや、VRChat(多人数同時参加型のソーシャルプラットフォーム)などのメタバース(三次元の仮想空間)において少女を演じる男性たちが登場した[465]。彼らは美少女キャラクターの「肉体」を得た「バーチャル美少女受肉」、略して「 バ美肉とは仮想空間の中で自らを女性化するものであり[468]、女装の一形態とみなしうる[469]。あしやまは2019年、バーチャルの世界では三次元の女装のような手間を普及に要さず、技術の進歩もあいまって、急速に 人類学研究者のリュドミラ・ブレディキナ(Ludmila Bredikhina)は2021年、一方でバ美肉たちの目的は女性そのものになることではなく、あくまで「かわいい」を体現することにあり、彼らの構図は三次元の「男の娘」のそれと似たものになると述べている[471]。ブレディキナは、あるバ美肉の 2023年現在[update]、「男の娘」の表現領域は、二次元と三次元の融合した二・五次元の世界で新たな広がりを見せている[474]。 年表
代表的なキャラクター・人物二次元のキャラクター→詳細は「男の娘キャラクターの一覧」を参照
「男の娘」と評されるキャラクターには、以下のようなものがある[注 38]。「論者」の欄は、そのキャラクターがほかの専門家によっては「男の娘」と評されていないということを必ずしも意味しない。
三次元の人物漫画家・いがらしゆみこの息子であるいがらし奈波は、公の場で「男の娘」を名乗った三次元の存在の初期の一人である[227]。2009年、ジャニーズ事務所に所属してアイドル活動をしていた[229]奈波は、ある日コスプレで女性服を身につけたときに
「茶漬け」(NEWTYPE)は、自身が女装を始めた切っ掛けはヴィジュアル系バンド「SHAZNA」の影響が大きかったと2010年に語っている[439]。「男の娘」を性別越境の一形態として捉える三橋は、2012年の講演でモカ(プロパガンダ)、井上魅夜(東京化粧男子宣言!、男の娘☆ちゃんねる)らをそのような例として紹介している[497]。 堀[498]・キンセラ[499]は、代表的な「男の娘」として大島薫の名前を挙げている。大島は、男性AV女優としては整形や性別適合手術を必要としない最初の世代に属していた人物である[500]。大島は二次元の「男の娘」を現実で再現したいと考え、女装を始めた[501]。自分はLGBTといった既存のどのカテゴリーにも該当しないと語っており、2015年に『ボクらしく。』と題した全年齢向けエッセイを著した(マイウェイ出版)[502]。 あしやまひろこは、筑波大学学園祭の男女合同ミスコン「TSUKUBAN BEAUTY 2011」に初音ミクのコスプレで出場して優勝し、ミス筑波大学として一躍有名になった男性である[503]。2015年の論稿において、普段は女装者を名乗っているもののマーケティングの都合で自身を「男の娘」と称することがあると述べている[504]。 日本以外の国・地域「男の娘」は、東アジア地域の特に日本・中国・台湾で流行しつつあるという報告が2021年時点でなされている[505]。欧米については、そもそも「男の娘」という概念がそこでは理解されにくいだろうという予測がなされている(2011年)[506]。 中国中国語で「男の娘」に相当する言葉は「 湖北省武漢市では、2009年に偽娘のグループ「アリス偽娘団(Alice Cosplay Group、ACG)」が結成された[510]。作詞家の周耀輝は、ACGの名称が日本のアニメ・コミック・ゲームにかけたものであるように、中国の若者が女装に憧れるようになったのは日本のサブカルチャーに影響されたところが大きいと報告している[511]。一時期、『おとボク』の「瑞穂」は偽娘の代名詞として通用していた[507]。偽娘が流行し、インターネットには女装の一部始終を記録した動画や女装指南の専門サイトなどが多く見られるようになった[512]。 ところが偽娘は広く知られるにつれ、「男らしさ」の中国文化を揺るがすものとして警戒されるようになっていった[512]。当初好奇の目を向けていたメディアも批判的に報じるようになり[512]、中国当局は映像作品における男性出演者の偽娘化の傾向を問題視するようになった[513]。2021年、国家ラジオテレビ総局は芸能界の管理統制を強化する通達を発表し、男子のジェンダーレスなイメージの発信を禁止する方針(限娘令)を明確にした[514]。当局の要請を受けた中国音像・デジタル出版協会ゲーム出版工作委員会と、テンセントやNetEaseを含む213の同国オンラインゲーム事業者は、娘炮(女性的な男性)や耽美 (ボーイズラブ)などを自主規制の対象とするガイドラインを発表した[515]。当局が教育やエンターテインメント業界への規制を強めていることには、国内外から文化大革命の再来であるとの批判が上がっている[516]。 台湾日本政府のクールジャパン戦略を背景に、偽娘(国語拼音: )は2010年ごろから台湾でも人気を伸ばした[508]。『女装山脈』の後継作『女装神社』(2019年、の〜すとらいく)は、日本語版と同時に英語版と繁体字中国語版も発売されており、中国語版は販売本数の約半分を占めている(2019年7月時点)[517]。偽娘は三次元の大衆文化としても浸透し、2021年現在[update]いくつかの女装部屋がオープンするなどしているが、台湾当局はこうした性別越境的な文化に対し寛容な態度を取っている[518]。
欧米欧米のオンラインコミュニティでは、漫画やアニメに登場する性別越境的な男性キャラクターに対して「trap」という呼称が使用されることがある(2019年時点)。本当は男性のキャラクターであるにもかかわらず、魅惑的な女性の外見をしているために異性愛男性ユーザーがその罠にかかってしまうといったニュアンスである[519][520][注 40]。「男の娘」的なキャラクターは欧米にも波及し、「trap」[521]「Japanese trap」[522]として扱われて人気を博すようになった。 一方その後、この「trap」という言葉は、実在するトランス女性に対してもトランスフォビア(トランス嫌悪)的な文脈で使われるようになった[520][注 41]。2020年、アメリカの掲示板サイト・Redditのアニメコミュニティは、女性のような外見の男性キャラクターを「trap」とよぶことがホモフォビア・性差別などに当たるとし、掲示板利用者に対しこの語の使用を禁止する措置をとっている[522]。 2022年、GUILTY GEARシリーズの新作『GUILTY GEAR STRIVE』(発売は2021年)に再登場したブリジットはトランス女性として描き直されていた[524][525]。それに対し一部のプレイヤーから抗議の声があがり、論争へと発展したが[525]、欧米ではこの騒動の過程において、設定変更によってブリジットが「trap」ともよばれるようなトランスフォビア的な悪しきミームから解放されたと報じたメディアがあった[524](詳細は「ブリジット (GUILTY GEAR) § ブリジット論争」を参照)。 多分日本の男の娘が向こう行くとハアッ!? とか言われますよ。シシーボーイでもトランスベスタイトでもシーメールでもない、じゃあ何なの? って言われても男の娘としか言いようがないんですよ。綺麗な少女としての自分になりたい、でも男という性は捨てたくない、ということでかなり特殊なんですよね。
Redditが「trap」の使用を禁止した際、利用者に案内した代替語には「otokonoko(男の娘)」「femboy」「tomgirl」「cutie」などのほか、「crossdresser(異性装)」「josou(女装)」があった[522]。2022年現在[update]、欧米では「otokonoko」は単なる異性装(女装)を指すと説明されることが多いが[526]、トランス女性のオンラインコミュニティにおいてこのジャンルは大きな人気を獲得している[527]。あるコミュニティの中には、「otokonoko」作品の魅力を、完全に女性として通用(=パス)する性別越境者というファンタジーを与えてくれる点にあるとする者がいる。別の参加者は、「otokonoko」はいわゆる 脚注注釈
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