初めまして。dokomontaと申します。トムルさんが移動依頼に提出された、「アヴァール人」と「ペチェネグ族」についてですが、それぞれ「アヴァール」と「ペチェネグ」への移動が完了しました。さて、今回は移動依頼を提出されていたため私が移動を行いましたが、今回は移動先の履歴がどちらもリダイレクト1版のみしかありませんので、ご自身での移動が可能です。移動作業をしたものの、移動できないものに限り移動依頼に出していただくようお願いします。移動機能についての詳細は、Wikipedia:ページの改名をご覧ください。--Dokomonta 2010年9月1日 (水) 05:12 (UTC)[返信]
- 了解しました。感謝します。--トムル 2010年9月2日 (木) 10:16 (UTC)[返信]
靺鞨文書のイメージを変更要請します.
現在のイメージは利用者:Evawenの作品, そうだから私が変更できないようにする. Thank you. --ガラム 2010年9月9日 (木) 13:36 (UTC)[返信]
- すみません。何を言っているのかわからないのですが。要するに利用者:Evawenの作品に問題があるということですか?それにしても「History of Korea-476.PNG」という、その記事に関係のない画像を貼るのはダメだと思います。--トムル 2010年9月9日 (木) 18:16 (UTC)[返信]
- すみません. (利用者:Evawenの作品にも問題があるだけではなく, 私の寄与を皆戻します.) --ガラム 2010年9月11日 (土) 08:28 (UTC)[返信]
thank you for pay attention to Idh0854's edit. this guy( Idh0854) knows very few about english or chinese, he may always use some translate tool, but i cannot understand him. Evawen 2010年9月10日 (金) 17:24 (UTC)[返信]
- Hellow? I don't understand your contribution. Because, my contribution of ファイル:金.PNG, ファイル:China map.jpg, ファイル:大清帝国領域.PNG is true. But, you change other file. This is so bad! And you think to "歪曲知識". Thank you. --ガラム 2010年9月11日 (土) 08:32 (UTC)[返信]
- ここは私(トムル)に対するノートページなので、ここでの言い合いは控えてください。--トムル 2010年9月11日 (土) 08:58 (UTC)[返信]
- 本当に申し訳ございません. --ガラム 2010年9月11日 (土) 10:49 (UTC)[返信]
This isn't mean "I don't like his file!". I worry about wrong acquisition of knowledge. Because of, here is encyclopedia. Wrong acquisition of knowledge is mean, 東北工程. Contribution of he include 東北工程. I so worry about it. And I don't like edit warrior. I want end of meaningless this warrior. But he is rejection. This is so unfortunate. Thank you. --ガラム 2010年10月8日 (金) 15:23 (UTC)[返信]
- 何となくわかりました。--トムル 2010年10月9日 (土) 03:17 (UTC)[返信]
Himetvと申します。扶余から夫余への移動を拝見いたしましたが、この移動は一度2008年にノートページで議論され、反対多数で移動が行われなかった件と同じ移動内容であり、一度適切に改名について議論する必要があると考えます。この件につきまして、一旦移動前の内容に戻し、現在の曖昧さ回避の内容を扶余 (曖昧さ回避)に移動した上で改名に関する議論を行うべきだという趣旨の提案をノート:夫余にて行いました。よろしくご確認ください。--Himetv 2010年10月19日 (火) 06:33 (UTC)[返信]
失礼します. Commons ファイルの変更頼みが可能ですか? (This is mean, 'ファイル:Map of The east barbarian~') 耽羅は 百済の朝貢国家と同時に, 服属国家です. 変更が可能ですか? P.S. ファイル:Map of The east barbarian 2.png - ファイル:History of Korea-375.png(差異..) --ガラム 2010年11月13日 (土) 07:17 (UTC)[返信]
- 耽羅を地図に加えるということでしょうか?それなら可能です。変更までしばらくお待ちください。--トムル 2010年11月13日 (土) 08:00 (UTC)[返信]
失礼いたします。表題の件ですが、なぜ、わざわざリダイレクトへ誘導なさるのでしょうか?ご回答、宜しくお願い致します。--Hollywood 2010年11月16日 (火) 17:37 (UTC)[返信]
- 「葷粥」と「黠戛斯」は独立記事になる可能性があるためです。--トムル 2010年11月16日 (火) 17:42 (UTC)[返信]
- その2つについての説明は、とりあえず納得できるものですが、1点だけ疑問が。実際に「独立記事」が成立した時点でテンプレートを修正なさる方が、わざわざリダイレクトへ誘導なさるよりも合理的であろうと考えるのですが、いかがでしょうか?
- 次に、「戎狄」のリンク先を、「山戎」から「四夷」へと変更なさったのは、なぜでしょうか?さほど詳しくないのですが、「四夷」を読む限り、「四方に居住していた異民族に対する総称」とのことですので、特定の民族を指すのには、不適切であるように感じられるますので。
- 最後に、「中華人民共和国」の表示を「中国」となさる理由を教えていただけますでしょうか?「中国」を読めば分かるように、決して「中華人民共和国」のみを専ら指す用語であるとも考えられないので。
- 以上、3点につき、ご回答、宜しくお願い致します。--Hollywood 2010年11月16日 (火) 17:56 (UTC)[返信]
- Wikipedia:リダイレクト#リダイレクトの解消において、独立記事になる可能性のあるリンクはそのままでいいことが書かれています。
- 「戎狄」のリンク先を「四夷」にしたのは、現在のリダイレクト先が「四夷」だったからで、私としても「四夷」はふさわしくないと思いますので、あとで「戎」と「狄」に分けたいと思います。ただし、ここでいう「戎狄」の「戎」は「山戎」というより「北戎」(山戎も含む)や「西戎」なので、「山戎」という特定の部族ではなく、「戎」というおおまかな表現のほうが適切と考えます。
- 「中華人民共和国」を「中国」にしたのは、単に中国の列が幅広になってしまい、本来のモンゴル高原の列より目立ってしまうからです。もっとよい方法があればそれにこしたことがないのですが。
- --トムル 2010年11月16日 (火) 18:16 (UTC)[返信]
- ご丁寧に、ありがとうございます。3については、幅を今のままで「中華人民共和国」で表記するベターな方法を見つけたので、そのように修正いたします。その次いでに、2の「戎狄」についても、「戎」と「狄」とに分けさせていただきます。1については、ノータッチで留めますので、お任せ致します。以上、宜しくお願い致します。--Hollywood 2010年11月16日 (火) 18:42 (UTC)[返信]
私はこれを理解することができません. 詳しい説明が可能ですか? --ガラム 2010年11月29日 (月) 05:51 (UTC)[返信]
- 「東濊」は朝鮮半島東部にいた濊族で、「濊貊」と呼ばれているものと同じ。「濊」は夫余成立以前に中国東北地方にいた種族および、夫余・高句麗成立後に朝鮮半島に逃れた「東濊」・「濊貊」といった濊の生き残り勢力(濊系民族)をも含む総称。したがって「東濊」は「濊」の記事の一項目とするか、独立した記事にするか、「濊貊」の記事へのリダイレクトにするしかありません。--トムル 2010年11月29日 (月) 12:34 (UTC)[返信]
あいさつが少し遅くなりましたが明けましておめでとうございます! 昨年にはありがとうございます. :) --ガラム 2011年1月5日 (水) 13:09 (UTC)[返信]
- 今年もよろしくお願いします。--トムル 2011年1月5日 (水) 16:10 (UTC)[返信]
- 出典の明記、了解しました。--220.104.214.151 2011年3月7日 (月) 13:37 (UTC)[返信]
ノート:グシ・ハン王朝にて、チベット語やモンゴル語の固有名詞に関するカナ転写の方法について意見を求めています。同ノートではあて名を書いていませんが、実は、まず第一にトムルさんを念頭においたものです。ぜひご意見をお寄せください。--Dalaibaatur 2011年8月2日 (火) 12:47 (UTC)[返信]
「ホショト」の記事について、滞らせるのが申し訳ないので、「改名に賛成する条件」とするとえらそすぎるので、トムルさん(またはその他の方による)記事と本文の改名作業に「反対しない」ための「希望」をノートに書きましたので、ごらんください。--Dalaibaatur 2011年10月26日 (水) 15:56 (UTC)[返信]
- ずいぶん以前に、ホショトのノートに典拠をご提示いただいていたのを確認。この記事についてはトムルさんが「ホシュート」へ移動されるのに反対いたしません。ご返事おくれまして申し訳ありません。--Dalaibaatur 2011年12月25日 (日) 08:37 (UTC)[返信]
はじめまして。トムルさんの貢献はすごいですね。お時間があるときに、tr:Chieh-she-shuaiの日本語版を書いていただくことは可能でしょうか?Takabeg 2012年1月7日 (土) 14:45 (UTC)[返信]
それと、泥利可汗にある "『昭蘇県石人碑文』「26年後にムカン・カガン(木杆可汗)の孫、神なるニリ・カガン(泥利可汗)…」より。" のリンクがあれば、教えていただけないでしょうか?トルコ語版でも訂正させますので。Takabeg 2012年1月8日 (日) 06:18 (UTC)[返信]
- 了解しました。時間があればおこないたいと思います。リンクは[1]になります。--トムル 2012年1月9日 (月) 22:05 (UTC)[返信]
- ありがとうございました。Takabeg 2012年1月15日 (日) 01:44 (UTC)[返信]
不適切というわけではありませんが、125.203.112.74氏のリンクのつけ方は将来性を感じません。特に[後突厥汗国]や[四オイラト (部族連合)]、[エルデニ・バートル]、[ジュンガル征服]、[ハルハ部のアルタン・ハーン]など、今後新設されそうもない記事名および、一般的ではない記事名(特に[後突厥汗国]は我が国になじみのない表現です)、必要性を感じない(どこかの記事の一部で扱えばいいような事柄)記事名を仮リンクにすることは少々無駄を感じます。ただし、今後新設されるであろう[ウバシ・ホンタイジ]や[チョクト・ホンタイジ]、[オチルト・ハーン]などは仮リンクにしてOKです。申し訳ありませんが、両方が混ざっていたので一気にリバートさせていただきました。もし、その記事名へリンクをつけたいのであれば、その記事名の記事ができた時にリンクすればよいと思いますが。--トムル(会話) 2012年6月26日 (火) 15:50 (UTC)[返信]
こんにちは。Tonbi_koと申します。表題の件、節名でなんらかの主張的行為を行うのは不適切だと思いますので、「名称について」「汗国という名称」という節名に変更しました。また「ハーン国と思っている人がいるが」という文章も、百科事典らしく「ハーン国とする例が多いが」に修正しました。あとは「誤りである」という断定口調ですが、これは「宮脇(2002)p.xxでは誤りだとしている」のように誰が誤りとしているかを明確にしなければなりません(Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:出典を明記する、Wikipedia:言葉を濁さない)。自然科学のジャンルでは断定もかまわないでしょうが、史学の、特に王権論・君主論的な見解に関係する分野では断言はふさわしくない行為です。お手数おかけしますが、よろしくご確認ください。--Tonbi_ko(会話) 2014年10月9日 (木) 14:26 (UTC) 修正しました --Tonbi_ko(会話) 2014年10月9日 (木) 14:30 (UTC) [返信]
- とてもウィキペディアらしい中立的な文章になってすごくいいと思います。ありがとうございます。--トムル(会話) 2014年10月12日 (日) 13:34 (UTC)[返信]
記事「モンゴル系民族」の改名提案に関連して、私の
- 1. 「モンゴル国家の国民」(1913年成立のボグド・ハーン政権以降の歴代政権の国民)そのものをさして「モンゴル系民族」と称している典拠がありましたらご紹介お願いします。
- 2. 「内蒙古自治区」の領域に分布する諸部族に対し、個別にまたはまとめて「モンゴル系民族」と称している典拠がありましたらご紹介お願いします。
- 3. モンゴル国家(1913年〜)・内蒙古自治区(1947年)の成立以前のモンゴル高原の住人そのものをさして「モンゴル系民族」と称している典拠がありましたらご紹介お願いします。--Dalaibaatur(会話) 2015年4月3日 (金) 03:40 (UTC)[返信]
- 4. モンゴル国家の国民と内蒙古自治区に分布する遊牧諸部族そのものを指してまとめて「モンゴル系民族」と称する典拠がありましたらご紹介お願いします。--Dalaibaatur(会話) 2015年4月3日 (金) 16:19 (UTC)[返信]
という質問に対し、
- このままいくと、同じ論争が永遠に繰り返されることが想定されますので、1.2.3.については返答しません。--トムル(会話) 2015年4月3日 (金) 15:10 (UTC)[返信]
とのご返事でしたが、
- 1~3について、典拠のご提示があれば、私は「モンゴル系民族」という本記事の名称に納得できますし、「【モンゴル系民族への改名】の提案者・実行者」であるトムルさんが典拠を提示できないならば、トムルさんが実施なさった「記事の改名」は「典拠のない呼称への改名」となります。
- 典拠は「ある」か「ないか」なので、「同じ論争が永遠に繰り返される」ことにはなりません。トムルさんから典拠のご提示があり、『上記1~4の、「モンゴル高原の住民そのもの」に対して「モンゴル系民族」なる呼称がきわめて一般的である』と明らかにされたのなら、ここでこの「改名提案」は終了です。
- 本件のばあい、問題は「議論」(=事実に対する解釈)以前のはなしで、単に「典拠があるか無いか」というレベルにとどまっています。モンゴル学の専門家による著作(例えばトムルさんがお手元に多数お持ちとおもわれる宮脇淳子氏の著作など)で、「モンゴル高原の住民そのもの」に対してどんな呼称が使用されているか、「モンゴル系」「モンゴル系民族」という単語が出現した場合に「誰を(または何を)さしているか、どんな条件で使われることばか」の用例を調べれば、済むだけの話です。トムルさんのほうからも私に「典拠のお問い合わせ」がありましたが、宮脇淳子『モンゴルの歴史』における用例をノートのほうに、紹介しておきましたので、ご覧ください。
- 「返答しません」とおっしゃったり「他の編集者を募って意見を聞いたほうが良い」とお考えになるのはご自由ですが、ウィキペディアのルールにしたがい、粛々と手続きはすすめさせていたこうと思います。--Dalaibaatur(会話) 2015年4月5日 (日) 12:27 (UTC)[返信]
記事モンゴル系民族の「改名」または「分割」の問題について、改名・分割のどちらがよいか、ご意見をお願いします。それぞれがどう違うかについては「改名提案(2)」の最新投稿で述べています。ノート:モンゴル系民族#改名提案(2)のほうにご意見いただけましたら、新たに「記事の◯◯に向けて」みたいな節を新たに設けて、記事モンゴル系民族の「改名」または「分割」で、現在の文面をどのように再編したいかについて、私の提案を述べたいと思います。
トムルさんにむけて私の提案のなかみをざっと述べさせていただきますと、この記事は、かつてSafkan氏が「中国と中華人民共和国のように、モンゴルとモンゴル国を二つの記事に分けたほうがすっきりする」として分割し、「民族という意味と歴史的に存在した勢力」の記事として「モンゴル」という記事名で執筆なさった文面が、骨格になっています。「モンゴル高原に分布する騎馬民族・モンゴル高原に歴史的に存在した勢力」そのものに関する文章は記事「モンゴル」に、その他を「モンゴル系民族」の方で叙述する、というものです。--Dalaibaatur(会話) 2015年4月6日 (月) 08:22 (UTC)[返信]
- ノート:モンゴル系民族#改名提案(2)に返答いたします。--トムル(会話) 2015年4月6日 (月) 16:29 (UTC)[返信]
- トムルさんおよびコミュニティにむけた正式提案は、「ノート:モンゴル系民族」に「分割の提案」を設けてそちらに提示いたします。--Dalaibaatur(会話) 2015年4月7日 (火) 08:54 (UTC)[返信]
- 先に私の意見をノート:モンゴル系民族にあげさせていただきました。テンプレートの貼り付けと分割提案への提出はDalaibaaturさんにお願いします。--トムル(会話) 2015年4月7日 (火) 14:17 (UTC)[返信]
- ご返事遅れました。トムルさんのご提案に賛成する旨をコメントいたしました。--Dalaibaatur(会話) 2016年7月16日 (土) 16:44 (UTC)[返信]
チャガタイ・ハン国、モグーリスタン・ハン国に貼付したチャガタイ家系図.pngは何を元にして作成されたものですか? あなたが作成したチャガタイ・ハン国の改稿に際して参照した書籍の記述と系図で確認できない、あるいはそれらの資料の記述の内容と大きく異なる情報と見解がいくつかあります。(例えば、系図では「東チャガタイ・ハン国」の初代君主はイルジギデイとなっていますが、イルジギデイを「東チャガタイ・ハン国」の君主とする資料は確認できず、そもそもトゥグルク・ティムールより前の人物をモグーリスタン・ハン国の君主とする記述も目にした記憶がありません。系図では「東チャガタイ・ハン国」と「モグーリスタン・ハン国」が別個のものとして扱われていますが、「東チャガタイ・ハン国」と「モグーリスタン・ハン国」の違いについては何を見れば確認できますか?)系図の内容とチャガタイ・ハン国の編集履歴を見比べ、独自研究の記載を常習的に行う荒らし(LTA:SHE)が追加した情報([2][3])を元にして作成した系図だと判断し、非専門家の個人的な見解が多々含まれている虞があると考えて画像を除去しています。--オオミズナギドリ(会話) 2015年10月30日 (金) 11:24 (UTC)[返信]
- 検証ありがとうございます。そうですね。前に作ったものだったので何を元にしたかは定かではありませんが(思い出せませんが)、今調べてみても小松久男『中央ユーラシア史』(山川出版社、2000年)の系図を元にしたことしかわからないので、削除にしましょう(というか書き直します)。てっきり理由もなしに消されたのかと思いましたよ。--トムル(会話) 2015年10月30日 (金) 14:00 (UTC)[返信]
- 了解しました。ありがとうございます。--オオミズナギドリ(会話) 2015年10月30日 (金) 15:42 (UTC)[返信]
はじめまして、TENと申します。7年ほど前に私のノートページに依頼戴いた新バビロニアの件について返信致しました。今更の対応で申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。--TEN(会話) 2017年5月31日 (水) 14:38 (UTC)[返信]
- ご対応いただきありがとうございます。--トムル(会話) 2017年6月20日 (火) 13:20 (UTC)[返信]
失礼いたします。人類学関係の編集をしております利用者:ABCEdit(会話 / 投稿記録)です。以前、モンゴル系民族#分割提案にて、議論させていただいたことがあったと思います。(かつてはABCEditorと名乗っていました。)
今回は、中央ユーラシア史に精通されているトムルさんに議論に参加いただきたく、失礼させていただきました。現在、私と他利用者の間で、テュルク系民族#起源の記述をめぐり、ノート:テュルク系民族#チュルク系民族の元来の人種についてにおいて議論を行っておりますが、合意に至れない状況です。状況を簡単に申しますと、相手方は、テュルク系民族のモンゴロイド起源説の記述を消去し、コーカソイド起源説の記述のみに書き換えており、これについて私は、中立性に欠く編集であると判断し、両論併記を求めました。しかし、相手方は両論併記を拒否し、合理的な理由なく自らの編集を維持するよう懇願してきており、議論が紛糾しております。(9月4日~7日の編集履歴[4]
もご参照ください。)
本件については既にコメント依頼(ノート:テュルク系民族#コメント依頼)を提出しておりますが、Wikipediaにおける中央ユーラシア史の第一人者であるトムルさんのご意見を、コメント依頼ページにてぜひお伺いできればと考えております。中央ユーラシア史の適切な発信のために、何卒お力をお貸しください。どうぞよろしくお願い致します。--ABCEdit(会話) 2019年9月9日 (月) 11:25 (UTC)[返信]
- 返答遅くなりました。わかりました。力になれるかわかりませんが、協力させていただきます。--トムル(会話) 2019年9月22日 (日) 12:00 (UTC)[返信]
- ついでですが、中国史に関心がおありのようなのでプロジェクト:中国史に参加してもらえないでしょうか。よろしくお願いします。--ポータル王朝の編集者(会話) 2020年4月5日 (日) 05:05 (UTC)[返信]
2021年ウィキメディア財団選挙の候補者を紹介します
こんにちは!
2021年ウィキメディア財団選挙が8月に始まります。今年の理事会選挙は、2021年8月4日から17日まで実施されます。ウィキペディア日本語版の編集者を含むウィキメディア・コミュニティのメンバーは、3年の任期で4人の新しい理事を選出する機会があります。理事会選挙の開始に先立ち選挙運動期間が設けられており、この期間中にコミュニティが候補者と顔を合わせる機会があります。
- ウィキメディア財団における理事会の役割は何ですか?
- 理事会の簡単な説明はこちらをご覧ください。
- 今回の選挙には20名の立候補者がいます。候補者についてはこちらをご覧ください。
理事選挙をサポートするファシリテーター チームは、選挙運動期間中にいくつかの活動を用意しています。
7月31日(土)の19:30(JST)から、日本を含むアジア・太平洋地域のユーザーが候補者と交流できるオンラインイベントが開催されます。日本語による同時通訳も提供される予定ですので、どうぞお気軽にご参加ください。
- こちらのフォームから事前に参加登録をお願いします。
- フォームのプライバシーポリシーをご確認ください。
その他の活動については、メタウィキの理事選挙ページをご覧ください。
ご質問がございましたら、ファシリテーターか選挙ボランティアまでお問い合わせください。
選挙ボランティア一同 2021年7月24日 (土) 15:03 (UTC)
このお知らせは2021年ウィキメディア財団理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除
まもなく終了 理事会選挙へ投票のお願い
トムルさん
こんばんは。お忙しい時間帯に恐れ入ります。
2021年ウィキメディア財団選挙は最終盤に入っております。これまでご協力いただいた皆様、ご投票いただいた皆様に心より御礼申し上げます。
もしトムルさんが投票をお済ませでなければ、ぜひこちらから清き一票をお願いいたします。
ウィキペディア日本語版の運営にも深く関与する理事会の候補者の選出に際し、投票資格をお持ちの数少ないユーザーの一人であるトムルさんのご意見を反映することは非常に重要だと考えています。
投票いただくに際し、まず19名の候補者からトムルさんが支持する方をお選びください。
支持する候補者を選んだら、支持する順に候補者の名前を選び、投票ボタンを押すだけです。
所要時間は5分未満で、完全な匿名性が保証されます。
投票は、日本時間の9月1日(水)の朝9時に締め切られます。
ウィキメディア財団の運営にウィキペディア日本語版コミュニティの意見を反映させるために、トムルさんのご協力を重ねてお願い申し上げます。
どうぞよろしくお願いいたします。
--選挙ボランティア一同 2021年8月31日 (火) 11:10 (UTC)
このお知らせはウィキメディア財団2021年理事会選挙ボランティアにより作成され、botにより配信されました。 •フィードバック •購読解除
こんにちは。貴殿がアップロードした地図ファイルの多くに、ベースとなっている地図の権利者が記載されてないようです。いくつかファイルを見たところ著作権侵害にあたるGoogle MapsまたはGoogle Earthをキャプチャしたものも含まれているように見えました。もしそうであれば著作権侵害にあたりますのでご自身でWikimedia Commons側で削除依頼を提出[5]してください。以上、ご確認のほど宜しくお願い致します。--Voncercue(会話) 2023年9月19日 (火) 11:11 (UTC)[返信]
- 画像を別のものに取り換えました。--トムル(会話) 2023年10月1日 (日) 17:41 (UTC)[返信]
ご対応ありがとうございます。原典欄(source)に、ベースとなったファイル名や地図サイトのURLを記載する必要がありますので、再度各ファイルを調整してください。私のこれまでの経験上では、ファイルであれば下記のようなソースの記述法がベストかと思います。
source= [[:File:●●●]] modified by [[User:トムル|トムル]]
以上。お手数ですがご対応お願いいたします。 --Voncercue(会話) 2023年10月5日 (木) 13:12 (UTC)[返信]
- 対応しました!--トムル(会話) 2023年10月7日 (土) 12:34 (UTC)[返信]
- 前回コメントした時に、気がつかなかったのですが、ファイルは上書きしてしまったのですね。Wikipediaの著作権侵害の文章が載った版が削除されるのと同じで、著作権侵害の画像の版も削除しなければなりませんが、判断は貴殿に任せます(Commons:削除依頼を参照)。他の問題点としては、作図の根拠となる出典を記載すべきですね。そうでないと独自研究を疑われます。 --Voncercue(会話) 2023年10月10日 (火) 10:18 (UTC)[返信]
- ご教示ありがとうございます。作図の根拠となる出典を加筆しました。「著作権侵害の画像の版も削除」とは画像ごとということでしょうか?あるいは過去差分だけの削除はできますでしょうか?「判断は貴殿に任せます」とはこのままでよいでしょうか?--トムル(会話) 2023年10月11日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
- 版指定削除についてはCommons:版指定削除を参照してください。すべて翻訳されていないようですが手順が載っているようです。細かいことまでは私も知りません。「判断は貴殿に任せます」とは「私はこれ以上関わりたくありません。著作権侵害を改善しない利用者としてやってくなら勝手にしてください。ただしこれ以上、著作権侵害を繰り返せすのであれば投稿ブロックすべき利用者として報告します。」の意味です。 --Voncercue(会話) 2023年10月12日 (木) 09:20 (UTC)[返信]
いつも中央アジア関連の執筆記事など拝見しております。様々な文献をもとに執筆してくださり、ありがとうございます。ただそれだけに読んでいて気になってしまう部分がありまして、出典を示す脚注のつけ方について1点お願い、もう1点お勧めしたいことがございます。
トムルさんの書き方を拝見すると、長い一段落を書いた後に脚注を置く、もしくは「~である。[1]」というように句点の後に脚注を付けるのを常とされていると思います。しかしご存じかと思いますが、日本語の学術文献で脚注方式をとり文末に脚注を付ける場合は、「~である[1]。」などと句読点の前につけるのが慣例となっています。Wikipedia日本語版も、それに沿った表記を原則としております(Help:脚注#スタイルと用法)。この文/段落の出典はこれだ、と脚注の責任範囲を明確にするためにも、今後そのように脚注を付けてくださるとありがたいです。
もう一点、これは好みの問題(ひと手間かけるかどうか)なのでお勧めするにとどめるのですが、文献を提示する時にTemplate:Cite book(書籍用)やTemplate:Cite journal(学術雑誌に掲載されている論文用)というテンプレートを使ってみてはいかがでしょうか。例えばキダーラ朝で使っていらっしゃる影山先生の文献は論文ですから、
- {{cite journal|和書|author=影山悦子|title=ユーラシア東部における佩刀方法の変化について : エフタルの中央アジア支配の影響|journal=内陸アジア言語の研究|issn=13415670|publisher=中央ユーラシア学研究会|volume=30|pages=29-47|date=2015-07-25|crid=1050845762635259904|naid=120006492361|ref={{SfnRef|影山|2015}}}}
と書きますと、実際の記事画面では
と表示されます(ID系はここまで網羅しないでもよい気もしますが)。こうするメリットは、出典表記に必要な要素を整理できること、書式をうまく整えてくれること、そしてSfnテンプレートを使った脚注が活きるということです。
例えば、今のキダーラ朝#出典で「影山 2015」についているリンクを押しても何も起きません。しかし「参考資料」節に上記のように文献を書いておくと、
と脚注を付け
と脚注一覧を呼び出した時、脚注の名前をクリックするだけで該当する文献の記述に飛べるので、読む人にとってとても便利になります。文献表記ミスをなくすことにもつながりますので(論文は『』ではなく「」で囲む、など)、ぜひご一考ください。--McYata(会話) 2024年2月26日 (月) 09:26 (UTC)[返信]
- ご丁寧に教えていただきありがとうございます。今後はこれを参考に執筆していきたいと思います。
- ただ、段落ごとに出典を明記している理由はその段落まるごとの出典であり、その文単位での出典ではないからです。脚注の場合は文ごとにつけています。--トムル(会話) 2024年2月29日 (木) 12:04 (UTC)[返信]
- 段落全体に1つの出典を付ける場合も、段落末文の句点前に脚注を付けるようにお願いいたします。本来のWikipediaの方針に従えば、ほぼすべての内容にそれぞれ何かしら対応する出典表示がある(はず)ので、段落の中で末文のみに脚注が付いていればそれが段落全体の出典という意味になります。
- ただいずれにしろ一段落に脚注一つという書き方ですと、後から別の人が段落中に割り込むような加筆をすると出典範囲がばらばらになってしまう恐れがあります。そのため加筆者や読者への配慮として、すべての文末に脚注を付けることも推奨されています(Help:脚注#スタイルと用法。同じ文献・ページの脚注が多数できてもOK)。--McYata(会話) 2024年2月29日 (木) 17:10 (UTC)[返信]
- なんだか矛盾が多いですが、ルールであれば仕方がないですね。wikipediaのルールに問題ありそうなので、そちらの改変も考えてみます。
- ありがとうございました。--トムル(会話) 2024年3月1日 (金) 05:30 (UTC)[返信]
- うーん、このあたりの考え方は一般的な学術文献の書き方をもとにしていまして、Wikipediaでも言語版を問わず広く受け入れられている原則になるので(トムルさんのような書き方をしている脚注方式の学術文献やWikipedia記事は他に見たことが無いです)、もし「矛盾が多い」「ルールに問題がある」と感じられたなら私の説明に不備不足があったのではないかと思います。もしよろしければ、どのあたりに矛盾を感じたのか、どうあるべきとお考えか共有していただけないでしょうか。--McYata(会話) 2024年3月2日 (土) 16:41 (UTC)[返信]
- >段落の中で末文のみに脚注が付いていればそれが段落全体の出典という意味になります。
- なりえないと思います。
- >一段落に脚注一つという書き方ですと、後から別の人が段落中に割り込むような加筆をすると出典範囲がばらばらになってしまう恐れがあります。
- 句点の前であろうと後ろであろうと割り込まれてばらばらになることには変わりません。
- >すべての文末に脚注を付けることも推奨されています
- これをすることによって上記2点が問題なく成立すると思います。
- なので、これをしていこうと思います。--トムル(会話) 2024年3月3日 (日) 11:33 (UTC)[返信]
- なるほど、合点がいきました。仰る通りの認識で問題ないかと思います。段落脚注について補足しますと、先述の通りWikipediaではすべての文が脚注により出典表示されるのが望ましいという前提があります。そのため、すべての文は後に出てくる最初の脚注に支配されることになり、段落に一つだけ最後に脚注がついていれば結果的に段落全体がその脚注に支配されます。そういう意味で、「出典を示す」というWikipediaの方針には合致します。ただ仰る通り、割り込み編集がそれに注意を払わなければ出典範囲が意味をなさなくなってしまうのは確かです。不特定多数が非同期的に協力するWikipediaの特性上、こうした割り込みが起きることを前提に書くべきではあります(段落と分けて脚注を付ける方法は、割り込み自体を阻害するという点でまずいですが・・・)。
- なので段落最後に脚注を付けるというのはあくまでも方針準拠するための最低限の取り繕い方であり、短文一つずつに対応するよう脚注を付けるのが最善ですね。
- 長ったらしく話を続けてしまいすみませんでした。一読者として今後もトムルさんが執筆される記事を楽しみにしております。--McYata(会話) 2024年3月7日 (木) 03:44 (UTC)[返信]