刈谷市郷土資料館
刈谷市郷土資料館(かりやしきょうどしりょうかん)は愛知県刈谷市にある郷土資料館。1980年(昭和55年)5月1日開館。 歴史開館の経緯建物は1928年(昭和3年)10月に亀城尋常高等小学校(現在の刈谷市立亀城小学校)の本館として建設されたものである。校舎としては老朽化が進行したことから、1974年(昭和49年)には新校舎が建設され、1977年(昭和52年)には特別教室棟が完成し、その後は全く使用されていなかった[1]。刈谷市はこの建物の取り壊しを計画したが、卒業生や文化人などが保存運動を展開し、資料館としての保存が決定した[1]。 保存が決定した際には具体的な展示物は決まっていなかったが、市民からは相次いで農具・柱時計・ランプなどの民具が寄贈された[1]。1979年(昭和54年)1月には改装工事に着工し[1]、1979年度いっぱいで展示品の整理などを行った[1]。資料館の開館には事業費7500万円が投じられている[1]。 開館後1980年(昭和55年)5月1日に刈谷市郷土資料館として開館した[2]。1999年(平成11年)2月17日には国の登録有形文化財に登録されている[3]。2011年(平成23年)4月29日には改装・改修工事が終わり、館内の公開を再開した[4]。 建築
設計は大中肇[4][5]。大中は1908年(明治41年)から1924年(大正13年)まで愛知県営繕係(後に営繕課)の技手を務め、愛知県立第八中学校(現在の愛知県立刈谷高等学校)や刈谷町立高等女学校(現在の愛知県立刈谷北高等学校)の校舎を担当[6][7]。1924年(大正13年)には愛知県営繕課を退職し、碧海郡刈谷町(現在の刈谷市)に大中建築事務所を開設して独立していた[8]。 外観はバロック様式の流れを汲むものであり、構造は鉄筋コンクリート構造2階建て、屋根は瓦葺、建築面積は748m2である[5][3]。 収集・展示館内には8つの展示室があり、刈谷市の歴史や考古資料、民俗資料などを展示している[4]。また、刈谷市城町図書館の2階には分室があり、刈谷城の城主であった水野勝成が市原稲荷神社に寄進した獅子頭や天誅組総裁であった松本奎堂の肖像画などが保存されている[4]。なお、分室展示室については刈谷市歴史博物館の開館に伴う展示物移転のため、2018年(平成30年)8月31日に閉館している[9]。 1階
2階
ギャラリー
利用案内交通アクセス
脚注
外部リンク |