出入管理庁出入管理庁(しゅつにゅうかんりちょう)は復帰前の沖縄において出入域管理、外国人登録という外国人関連の行政事務を管轄した琉球政府法務局の外局である。 琉球政府発足当初、出入域管理事務は琉球警察が所管していたが、1961年に法務局へ移管され、外局の出入管理部となった。そして1965年に出入管理庁と改称した。 出入域管理事務そのものは琉球政府が所管していたが、根拠法令は米国民政府が制定した琉球列島出入管理令(民政府布令第125号)や琉球住民の渡航管理(民政府布令第147号)であり、実際に出入域の可否を決めるのは米国民政府であった。 そのため、復帰運動の運動家が出入域できない事例が頻発するなど、恣意的な運用が批判された。復帰後は、法務省の地方支分部局として那覇入国管理事務所に改組された。(のちに福岡入国管理局那覇支局となり、2019年4月に福岡出入国在留管理局那覇支局となる。) 沿革
組織出入管理庁の組織は以下の通りである(1965年8月1日現在)。 内部分課
支分部局
出入域者数1971年の出入域者数である
在留登録者数1971年12月31日時点の在留登録者数である。
渡航手続例示している画像は琉球列島米国民政府によって発行されたものではなく日本政府総理府により発行されたもの。琉球住民はこの他に民政府が発行する「日本渡航証明書」が必要であり、日本以外の地域への渡航には民政府が発行する「身分証明書」が必要だった。 アメリカ施政権下の沖縄へ行くには海外渡航並の手続きが必要であった。ここでは当時の渡航手続について記述する(観光の場合)。 必要書類の申請本籍地または現住所の都道府県の窓口で申請した(申請時は必ず本人が出頭した)。 窓口で申請するには以下の書類が必要であった。
これらの書類を提出すると、1-3は総理府、4は米国民政府に送られた。入域が許可されると総理府の「身分証明書」に米国民政府の「入域許可証」が添付されて、都道府県窓口に送られて、申請者に交付された(約2週間を要する)。受領の際は委任状による代理人受領も可能であった。 免疫証明書の申請当時、沖縄に渡航するには種痘の「免疫証明書」が必要であった。保健所で種痘を受けて「免疫証明書」の交付を受けた。 外貨両替「身分証明書」を外貨両替を行っている銀行に提示すれば、500ドルの範囲内で交換ができた。トラベラーズチェックも利用できた。 日本からの出国手続海外渡航と同じ扱いなので、出発時刻の2時間前に港や空港に到着して、荷物検査、税関、出国審査を済ませなければならなかった。
沖縄への入域手続到着すると免疫証明書の検査が行われた。出入管理庁のカウンターでは身分証明書に入域印が押され、沖縄の出入域カードを提出した。その後、税関にて荷物の検査が行われ、無事済めば完了であった。 参考文献
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