内海倫
内海 倫(うつみ ひとし、1917年〈大正6年〉4月1日 - 2012年〈平成24年〉8月3日[1])は、日本の内務・警察・防衛官僚。位階は従三位。元防衛事務次官。元人事院総裁。 来歴姫路高校文科甲類[2]を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1941年(昭和16年)に内務省に入省。同期に高橋幹夫、柴田護、熊崎正夫、島田豊などがいる。内務省16年入省組は、後に「素心会」というOB団体を立ち上げている。 短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、海軍経理学校を卒業。日本の敗戦時には海軍主計少佐であった。後に内海は、短現6期組のOB団体である「土曜会」の主要メンバーとして、中曽根康弘をバックアップすることになる。 警察庁交通局、刑事局各局長を経て1969年(昭和44年)防衛庁人事教育局長に転じ、1970年(昭和45年)防衛事務次官に就任。1972年(昭和47年)5月に退官後、同年12月から1976年(昭和51年)まで国防会議事務局長。 1984年(昭和59年)から1990年(平成2年)まで人事院総裁を務め、退任後、人事院法律顧問を委嘱された。1990年(平成2年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。 2012年8月3日、急性肺炎のため東京都稲城市の病院で死去[3]。95歳没。没日付けで正七位から従三位へ昇叙[4]。 略歴
著書
脚注
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