六角時綱
生涯六角満綱の次男として誕生。 文安元年(1444年)、兄・持綱に不満を抱いた家臣団から擁立され、翌文安2年(1445年)に父と兄を自殺に追い込んだ。室町幕府は弟・久頼を還俗させ、文安3年(1446年)8月に京極持清と共に時綱一派を討ち取る命令を下した。時綱らは近江国愛知郡飯高山で蜂起したが、9月5日に久頼と京極持清の軍勢に攻め込まれ、飯高山で家臣団と共に自害した。 子・政堯は生き残り、後に近江守護に任命されている。 出典 |
六角時綱
生涯六角満綱の次男として誕生。 文安元年(1444年)、兄・持綱に不満を抱いた家臣団から擁立され、翌文安2年(1445年)に父と兄を自殺に追い込んだ。室町幕府は弟・久頼を還俗させ、文安3年(1446年)8月に京極持清と共に時綱一派を討ち取る命令を下した。時綱らは近江国愛知郡飯高山で蜂起したが、9月5日に久頼と京極持清の軍勢に攻め込まれ、飯高山で家臣団と共に自害した。 子・政堯は生き残り、後に近江守護に任命されている。 出典 |