佐藤幸椰
佐藤 幸椰(さとう ゆきや、1995年6月19日 - )は、北海道石狩市出身のスキージャンプ選手である。札幌日本大学高等学校を経て雪印メグミルクスキー部所属。 経歴高校時代は全国高等学校スキー大会3連覇や、宮様スキー大会2年連続完全制覇など多くの記録を達成し、2014年4月に雪印メグミルクに入社した。 ワールドカップデビューは2015年1月23日の大倉山ジャンプ競技場で行われた札幌大会で、39位だった。翌日は43位だった。同年のジュニア世界選手権では個人戦4位、団体戦6位となった。 2015/16シーズンは、ニジニ・タギル大会で初めてワールドカップ遠征組に選ばれた。 2017/18シーズンは、ニジニ・タギル大会からワールドカップ遠征組入りし、2月のヴィリンゲン・ファイブ(ヴィリンゲンでの予選と本戦5回のジャンプの合計得点を競う大会)以降は遠征組に定着した。このヴィリンゲン・ファイブでは1試合目で29位になり、自身初のワールドカップポイント獲得、2試合目で同シーズン最高位の11位となり、総合23位となった。 2018/19シーズンは、エンゲルベルク大会からワールドカップ遠征組入りし、年末年始に行われるスキージャンプ週間にて初出場を果たす。第3戦のインスブルック大会で6位となり、自身初のトップ10入りを果たす。ジャンプ週間では4大会とも30位以内に入り、総合12位となった。1月20日のザコパネ大会で3位となり、自身初の表彰台入りを果たした。同年の世界選手権代表にも選ばれ、男子ラージヒル団体では銅メダルを獲得するなど、4種目すべてに出場した。 2019/20シーズンは、サマーグランプリより参戦し、ザコパネ大会の個人戦3位、男子団体優勝[1]のメンバーとなった。続く白馬大会は1日目2位、2日目3位に入賞し、総合2位で終えた。冬はW杯開幕戦から遠征組に選抜され、第3戦のニジニ・タギル大会でワールドカップ初優勝を飾り、第17戦の札幌大会で2回目の優勝を果たすなどの成績を収め、総合13位でシーズンを終えた。 2020/21シーズンは、コロナ禍のため10月以降の開催となったサマージャンプ国内戦は7戦中、全日本選手権の2勝を含む優勝4回、2位1回でワールドカップへ向かった。ワールドカップでは5位3回など1桁順位に13回入り、総合11位の成績を挙げた。またフライングの団体戦では20年ぶり[2]の表彰台となる団体2位のメンバー[3]となった。世界選手権ではノーマルヒルでは1本目8位につけるも2本目で距離を伸ばせず16位、混合団体は5位だった。ラージヒルでは1本目4位につけたが、2本目は8位で7位だった。男子団体では、1本目で最長不倒の141m、2本目もヒルサイズの137m飛ぶ活躍を見せたが惜しくも4位だった。 2021/22シーズンは、サマージャンプ国内戦で3勝。サマーグランプリでは、9/25のヒンツェンバッハ大会で小林陵侑を抑えて優勝し[4]、日本勢2位の総合15位に入った[5]。全日本選手権はラージヒル2位[6]でワールドカップを迎えた。前半戦はジャンプ週間最終戦の4位を最高順位として1桁順位に4回入り、団体戦では2回表彰台に登るなどの活躍で、日本勢2位の総合14位で北京オリンピックに臨んだ。エースの小林陵侑とともに今大会のオリンピックスキージャンプ全種目に出場し、個人ノーマルヒル32位、混合団体4位、個人ラージヒル15位、男子団体5位だった。混合団体の1回目のジャンプでスーツ規定違反で失格になった高梨沙羅を気遣う一方[7]、男子団体では「力のある陵侑をメダル争いさせることができなかった」と悔しさをにじませた[8]。オリンピック後はフライング世界選手権ヴィケルスン大会では個人9位、団体6位のメンバーとなった。ワールドカップ最終戦(プラニツァ)大会では2位に入り、総合13位でシーズンを終えた。 2022/23シーズンはワールドカップ総合54位であった。世界選手権は代表入りしたが、出場機会がなかった。 2023/24シーズンは国内戦で4勝した。 主な競技成績オリンピックアジア冬季競技大会世界選手権
フライング世界選手権
ジュニア世界選手権
ワールドカップ
サマーグランプリ
その他国際大会
国内大会
脚注
外部リンク |