佐伯国益佐伯 国益(さえき の くにます、生年不明 - 宝亀10年閏5月15日(779年7月3日))は、奈良時代の貴族。姓は宿禰。官位は正五位下・河内守。 経歴淳仁朝の天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱が発生すると、佐伯伊多治・田口牛養・大野真本らとともに従五位下に昇叙される。 称徳朝では近衛少将を務め、神護景雲2年(768年)備後守を兼任した。 宝亀元年(770年)光仁天皇の即位に伴って、石上家成・大野真本・藤原小黒麻呂とともに従五位上に叙せられると、翌宝亀2年(771年)には正五位下と光仁朝初頭に続けて昇叙された。宝亀3年(772年)政情調査のために覆損使として東山道に派遣されている。宝亀6年(775年)河内守に任ぜられた。 宝亀10年(779年)卒去。最終官位は河内守正五位下。同年5月に生前無欲で勤勉であったことを賞され、正五位上の贈位がなされ、稲1000束が贈られた。同年9月に後任の河内守として一族の佐伯真守が任官している。 官歴『続日本紀』による。
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