佐世保市立祇園小学校(させぼしりつ ぎおんしょうがっこう, Sasebo City Gion Elementary School)は、長崎県佐世保市祇園町にある公立小学校。略称「祇園小」。
概要
- 歴史
- 2001年(平成13年)に「佐世保市立戸尾小学校」と「佐世保市立光園小学校」の2校統合により開校した。2016年(平成28年)に創立15周年を迎えた。
- 校章
- 校歌
- 作詞は河野左千子、作曲七田英明による。3番まであり、各番とも「祇園小学校」で終わる。
- 旧・戸尾小学校 - 作詞は風木雲太郎、作曲は高田信一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「戸尾小学校」が登場。
- 旧・光園小学校 - 作詞は味村青二、作曲は松本民之助による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「光園小学校」が登場。
- 校区
- 住所表記で佐世保市の後に「戸尾町・塩浜町・万津町・山県町・島地町・下京町・上京町・本島町・島瀬町・湊町・栄町・常盤町・松浦町・京坪町・宮崎町・光月町・宮地町・祇園町・高梨町(一部)」が続く地域。中学校区は佐世保市立祇園中学校[1]。
沿革
- 旧・佐世保市立戸尾小学校(とのお)
- 旧・佐世保市立光園小学校(こうえん)
-
- 祇園尋常小学校
- 1909年(明治42年)4月 - 「祇園尋常小学校」が創立。初代校長に市山治八が就任。
- 1912年(大正元年)11月 - 校舎を増築。
- 1917年(大正6年)4月 - 小学校再編により「祇園女児尋常小学校」となる。
- 1919年(大正8年)
- 4月 - 校区改定により白南風尋常小学校から64名の児童が転入。
- 12月 - 校区改定により栄・常盤・湊町地区の児童が転入。
- 1933年(昭和8年)1月 - 統合により廃止。
- 光月尋常小学校
- 1917年(大正6年)4月 - 光月町の高地に「光月尋常小学校」が創立。初代校長に豊村勝治が就任。
- 祇園尋常小学校から560名(男児)、戸尾尋常高等小学校から102名、八幡尋常高等小学校から38名が転入。これに新入生を合わせこの時の在籍児童数は1,241名。
- 1923年(大正12年)11月 - 校区改定により、戸尾尋常高等小学校から436名、八幡尋常高等小学校から166名が転入。
- 1924年(大正13年)4月 - 在籍児童が男子のみとなる。
- 1932年(昭和7年)- 校地を拡張。
- 1933年(昭和8年)1月 - 統合により廃止。
- 統合
- 1933年(昭和8年)1月 - 光月尋常小学校と祇園女児尋常小学校の2校が統合され「光園尋常小学校」が開校。
- 2校の校名から1文字ずつ(「光」と「園」)とって命名された。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「光園国民学校」となる。尋常科を初等科と改称。
- 1945年(昭和20年)6月29日 - 佐世保空襲により、校舎が全焼。以後分散授業を余儀なくされる。
- 1947年(昭和22年)
- 3月 - 全児童が琴平国民学校に収容される。
- 4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、旧・光園国民学校初等科を改組し、「佐世保市立光園小学校」が発足。
- 5月 - 佐世保市立戸尾小学校の校舎に移転。
- 1948年(昭和23年)4月 - 休校となる。全児童は佐世保市立戸尾小学校に転籍[3]。
- 1950年(昭和25年)4月 - 佐世保市立山澄中学校跡地で「佐世保市立光園小学校」が再開。
- 1951年(昭和26年)9月 - 祇園町92番地に新校舎が完成し、移転を完了。
- 2001年(平成13年)3月31日 - 閉校。
- 統合・佐世保市立祇園小学校
- 2001年(平成13年)4月1日 - 佐世保市立戸尾小学校と佐世保市立光園小学校が統合の上「佐世保市立祇園小学校」(現校名)が開校。
- 2004年(平成16年)4月 - 2学期制を導入[4]。
- 2022年(令和4年)4月 - 3学期制に変更。
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの幹線道路
- 国道35号
- 西九州自動車道 佐世保中央インターチェンジ
周辺
- 佐世保市立祇園中学校
- 佐世保市体育文化館・コミュニティセンター
- 長崎県立武道館弓道場
- 長崎家庭裁判所佐世保支部
- 阿弥陀寺
- 佐世保市交通公園
脚注
参考資料
- 「佐世保市史 教育篇」(1982年(昭和57年)5月20日, 佐世保市)p.652 - p. 655(光園小学校)
関連項目
外部リンク