ささき ひでいち
佐々木 秀一 |
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生誕 |
1913年(大正2年)9月17日[1] 東京[1] |
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死没 |
1996年(平成8年)12月19日[1] |
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国籍 |
日本 |
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出身校 |
慶應義塾大学経済学部[2] |
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職業 |
佐々木硝子株式会社取締役社長[3] 佐々木硝子株式会社取締役会長[3] |
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団体 |
日本硝子製品輸出組合理事長[3] 日本軽工業品団体連合会会長[4] 日本産業デザイン振興会常務理事[4] 神田明神氏子総代[5] 国際ロータリー第358地区ガバナー[5] 東京商工会議所副会頭[3] 東京珠算教育連盟会長[6] 国際ロータリー在日財務代行者[7] 東京実業連合会会長[3] 東京都特別職報酬等審議会会長[8] |
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子供 |
佐々木宗和 |
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親 |
佐々木宗次郎 |
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親戚 |
佐々木源蔵 |
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栄誉 |
藍綬褒章[1] 勲二等旭日重光章[1] |
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佐々木 秀一(ささき ひでいち、1913年(大正2年)9月17日[1] - 1996年(平成8年)12月19日[2])は、日本の実業家。佐々木硝子(現・東洋佐々木ガラス)社長、会長[1]を務めた。
来歴
1937年(昭和12年)慶應義塾大学経済学部を卒業後[2]、家業の佐々木硝子店に入社。1947年佐々木硝子に改組し、社長に就任。1957年(昭和32年)にはアジア初となるタンブラーグラス生産の自動化を行い、これにより佐々木硝子は成長した[1][9][10][11]。1983年(昭和58年)に会長に就任[1]。
社業以外では東京商工会議所副会頭を務めたほか[1]、1968年(昭和43年)に藍綬褒章、1984年(昭和59年)に勲二等旭日重光章を受章している[2]。
略歴
- 1913年(大正2年)9月17日生[2]
- 1937年(昭和12年)3月 - 慶應義塾大学経済学部卒[3]
- 1937年(昭和12年)4月 - 合名会社佐々木硝子店無限責任社員[3]
- 1943年(昭和18年)2月 - 佐々木工芸硝子株式会社取締役社長[3]
- 1947年(昭和22年)2月 - 佐々木硝子株式会社取締役社長[3]
- 1947年(昭和22年)5月 - 東京硝子製品卸商業協同組合理事長[12]
- 1955年(昭和30年)10月 - 東京商工会議所議員[3]
- 1958年(昭和33年)8月 - 佐々木クリスタル硝子株式会社取締役社長[3]
- 1959年(昭和34年)5月 - 日本硝子製品輸出組合理事長[3]
- 1966年(昭和41年)10月 - 佐々木オーエンズ硝子株式会社取締役社長[3]
- 1968年(昭和43年) - 藍綬褒章[2]
- 1969年(昭和44年)4月14日 - 日本産業デザイン振興会常務理事[4]
- 1969年(昭和44年) - 国際ロータリー第358地区ガバナー[5]
- 1973年(昭和48年)11月 - 東京商工会議所副会頭[3]
- 1975年(昭和50年)11月 - 東京珠算教育連盟会長[6]
- 1977年(昭和52年)6月 - Sasaki Crystal, inc.取締役会長[3]
- 1979年(昭和54年) - 東京都商品融資代表取締役[2]
- 1982年(昭和57年) - 東京商業活動調整協議会会長[2]
- 1983年(昭和58年)4月 - 佐々木硝子株式会社取締役会長[3]
- 1983年(昭和58年)6月 - 佐々木クリスタル硝子株式会社取締役会長[3]
- 1983年(昭和58年)6月 - 佐々木工芸硝子株式会社取締役会長[3]
- 1983年(昭和58年)7月 - 国際ロータリー在日財務代行者[7]
- 1984年(昭和59年)5月 - 東京実業連合会会長[3]
- 1984年(昭和59年) - 勲二等旭日重光章[2]
- 1985年(昭和60年) - 東京屋外広告協会会長[13]
- 1996年(平成8年)12月19日歿[2]
出典