伴野時直
伴野 時直(ともの ときなお)は、鎌倉時代前期の武将・御家人。 生涯『吾妻鏡』暦仁2年(1239年)1月5日条では幕府の的始の儀で射手を務め、『吾妻鏡』宝治2年(1248年)4月20日条では由比ヶ浜での小笠懸の射手を務めている。将軍宗尊親王に従い、最明寺参詣(『吾妻鏡』康元元年(1256年)7月17日条)や勝長寿院供養(『吾妻鏡』正嘉2年(1258年)6月4日条)、鶴岡八幡宮放生会([『吾妻鏡』弘長元年(1261年)8月15日条)でそれぞれ随兵を勤めている。一遍に帰依し、弘安2年(1279年)、金台寺を創建した。 子の長泰の時代に、弘安8年(1285年)の霜月騒動によって没落した。 関連項目参考文献 |