伊豆山温泉
伊豆山温泉(いずさんおんせん)は、静岡県熱海市(旧国伊豆国)に存在する温泉。 概要伊豆山神社周辺に湧出する温泉で、熱海ビーチライン、国道135号沿いの海岸線に7軒の旅館、ホテルが存在する。洞窟の中から源泉が湧出する「走り湯」が温泉街の名物である。 観光ホテルは海岸線に偏っているが、山側には企業や健康保険組合の保養所が数多く開発され、温泉地としては拡大した。 なお、熱海温泉との境界については曖昧な点があり、東海道本線の東京方の逢初山隧道の東京坑口の東京方が一般的な伊豆山温泉の地帯であるが、温泉台帳の分類では熱海駅ホーム東端から東京方(春日町の一部、海光町)も伊豆山温泉となっている。 共同浴場は1軒存在する。かつては2軒存在したが、道路拡張工事のために取り壊された。 泉質
伊豆山温泉は塩化物泉、東海道本線より山側は硫酸塩泉であり、硫酸カルシウムやマグネシウムを多く含み、外傷の他、腫れ物や水虫などの皮膚病に効能があるとされる[1]。現在は塩分が高くなり、胃腸や神経痛、リウマチなどにも効能があるとされる[1]。 基本は弱アルカリ泉であるが、伊豆山53号、伊豆山56号の2井のみPH3.0ほどの酸性泉が存在する。 走り湯について走り湯は、古くは7千石(1296トン)、毎分900リットルが自噴しており、源泉の温度は約70度であったとされる[1]。近年の乱掘により、現在は毎分180リットルにまで湧出量が低下していることから、保護の為走り湯からの汲上げを休止し、200m程南方の伊豆山78号(第二走り湯)から汲上げた温泉水を走り湯の洞窟内に流すことで自噴していた頃の様子を再現している。[1]。泉温については、近隣(伊豆大島)の噴火で上昇することもあるという[1]。 源泉一覧古来の伊豆山温泉は、熱海駅の東側海光町と走り湯周辺であったが、近年では山側の宅地やマンション造成、保養所等の建設での採掘が盛んとなっている。 それに伴い採掘深度も深くなっている。
歴史伊豆山温泉の「走り湯」は、養老年間に発見されたとされるが、後述のように、役小角が発見したとする伝承もある。走り湯の湧き出る山は、「走湯山」と呼ばれ、現在の「伊豆山」となった[1]。 699年に伊豆大島に流された役小角は、ときどき島を抜け出してあちこち徘徊するなどしているうちに、伊豆山の走り湯から五色の湯煙がたちのぼるのを発見し、走り湯の付近に草庵を結び、修行をするようになったとされる[1]。伝承では、この修行を始めたとき、「無垢霊湯(むくれいとう)、大悲心水(だいひしんすい)、沐浴罪滅(もくよくざいめつ)、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」(無垢の霊場、大いなる慈悲の水、沐浴すれば罪が滅び、六根が清らかになる)という金色の文字が湯の上に浮かんだとされる[1]。 役行者の発見により、走り湯は知名度が高くなり、伊豆山に修験者が集まるようになったとされる[1]。なお、修験者たちは当初、日金山を中心に修行を行ったが、水の便が悪いため麓付近に移って修行を行うようになり、現在の七尾の「本宮跡」が修行の中心となったときもあったとされる[1]。その後、現在の伊豆山神社がある場所が修行の中心となり、伊豆山を「天に昇るめでたい龍」にみたて、日金山から岩戸山までを「胴体」、伊豆山権現(伊豆山神社)の場所は「目」、現在の浜町内にある花水を「鼻」、走り湯の湧き出る洞窟を「口」として、富士山にまで通じる巨大な龍の身体が存在すると考える信仰が生まれたとされる[1]。 伊豆山温泉は、源頼朝が源氏再興の祈願を伊豆山神社に行い、後に鎌倉幕府を開いて以降、伊豆山神社(伊豆山権現)の社勢が強くなるとともに、著名な温泉地としての地位を確立した[1]。3代将軍の源実朝は、伊豆山や走り湯を詠った歌を残しており、
などがある[1]。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐により、伊豆山は焼かれて荒廃し、温泉の設備も、草葺きの仮小屋に過ぎないものとなった[1]。その後、江戸時代になると、徳川家康の湯治場として熱海が保護されたため、伊豆山温泉はその繁栄を熱海温泉に譲ったとされるが、依然として、大名や歌人が伊豆山神社(伊豆山権現)の参詣のついでに走り湯に入浴する、ということも多かった[1]。江戸城の造営の際は、伊豆山から大石を船で搬送したが、工事中にケガをした多くの人が走り湯に入浴したところ、効能が非常に高かったという[1]。 また、江戸時代は、一般の人が走り湯に直接入るのは難しく、旅籠の中の湯や、ほとんど波打ち際に近いところでしか入れなかったといわれる[1]。だが、走り湯の人気は高く、東北地方など、遠方から「講」という団体が伊豆山権現に参詣にきて、旅籠で入浴するということが多かった[1]。なお、当時の人々には、入浴時に上述の「無垢霊場 大悲心水 沐浴罪滅 六根清浄」を唱えるというならわしがあったとされ、地元の人々の間にも、そのならわしが昭和20年ごろまで残っていたという[1]。 明治以後も走り湯の人気は続いたが、関東大震災のとき、湧出が止まったときがあったという[1]。その際、地元の人々が源泉を鉄棒で突いたところ、湧出が再開されたが、そのときに地中から大きな音があがったため、驚いた人々が一斉に逃げ出したという[1]。 第二次世界大戦後は、一時、馬が入浴する「馬の湯」もあったという[1]。 2021年、熱海市伊豆山土石流災害により、一部の旅館・ホテルで断水や温泉機器故障等の影響を受けた。そのため、一部の旅館・ホテルでは、臨時休業をしている。 アクセス脚注関連項目外部リンク |