伊藤萬蔵伊藤 萬蔵(いとう まんぞう、1833年(天保4年) - 1927年(昭和2年)1月28日)は、尾張国出身の実業家、篤志家。 人物1833年(天保4年)正月、尾張国稲木庄平島村(現愛知県一宮市平島)において、父治左衛門、母りかの長男として[1]生を受ける[2]。 丁稚奉公を経て、名古屋城下塩町四丁目において「平野屋」の屋号で開業[3]。名古屋実業界において力をつけ、名古屋米商所設立に際して、発起人に名を連ねる[4]。 のち、各地の寺社に寄進を繰り返したことで知られる。現在知られる最古の例は、文久元年(1861年)銘の狛犬で、連名ではあるが、名古屋市西区の宗像神社境内に残る[5]。また、単独では一宮市常保寺の石灯籠が最古とされる[6]。 生前最後の寄付は、1926年(大正15年)9月の常滑市玉泉寺のもので[7]、死後の1927年(昭和2年)3月に谷汲山華厳寺山門脇に寄付されたものが最後とされる[8]。 晩年は「徳山」の号を用いており[9]、家督とともに伊藤萬蔵の名も譲っていた。 1927年(昭和2年)1月28日5時に病没し、葬儀は中区白川町誓願寺において翌日14時から15時にかけて行われ(『新愛知』1927年1月29日付)[10]、米野火葬場において荼毘に付された[11]。墓所は誓願寺にある[12]。 訃報記事によれば、名古屋市内に借家を数百軒持っていたとされる(『新愛知』1927年1月29日「一粒の米にも感謝を捧げ 敬虔な祈りに生きた 徳山翁のこととも」)[13]。また、同時期に名古屋で活躍した矢田績は、「名古屋の名物老人」「一種の変人でもある」と評して故人を偲んでいる(『新愛知』1927年2月4日「伊藤萬蔵翁の事」)[14]。 脚注参考文献
外部リンク
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