伊藤哲也
伊藤 哲也(いとう てつや、1970年10月1日 - )は、千葉県千葉市出身(北海道札幌市生まれ)のサッカー指導者、元サッカー選手 。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 来歴小学校4年生の時にサッカーを始め[4]八千代松陰中学校・高等学校から法政大学を経て、1993年にNKKサッカー部に加入。しかし、この年限りで廃部となったため、1994年より横浜マリノスに移籍。井原正巳、小村徳男らDFにタレントを揃える横浜Mでは出場機会に恵まれなかった。 1997年、サンフレッチェ広島に期限付き移籍(翌年完全移籍)。上村健一、トニー・ポポヴィッチらと堅守を築き[5]、冷静な判断力を武器とする頭脳派DFとして活躍した[1]。 2001年、NKK在籍時に指導を受けた倉又寿雄がヘッドコーチを務めるFC東京へ移籍[6][7]。CB、SBで堅実なプレーを見せ[1]、守備陣を統率する[8] リーダーシップを発揮した[1]。2002年には、的確なカバーリングと駆け引きで新加入のDFジャーンをサポートしていたが[2]、シーズン終盤にかけてコンディションを崩し[2]茂庭照幸の台頭を許した。2003年は足首の負傷もあって[9][10] 出場機会を得られなかったが、伊藤の努力を絶やさない姿勢はチームの財産となった[11]。 2004年、大分トリニータに移籍するも[9][12]、負傷が重なりリハビリや別メニュー調整が続いた[13] ことから同年限りでの現役引退を表明[14]。 2005年7月、広島在籍時のチームメートである森山泰行らから請われ、FC岐阜でアマチュアとして現役復帰[15]。岐阜市内の企業、ヒマラヤに勤務していた[15]。日本フットボールリーグ及びJ2昇格に貢献し、2007年をもって現役引退[4]。2008年にはコーチ専任となり、2009年からはアマチュアチームのFC岐阜SECOND監督を務めた。2012年には岐阜SECOND設立時からの目標である地元開催の国体に臨んだが、京都府代表の佐川印刷SCに敗れ、ベスト8に終わった(京都が優勝)[16]。同年限りで監督を退任[17]。 後に地元千葉でサッカースクールのコーチを務めている[4]。 個人成績
指導歴
脚注
関連項目外部リンク
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