伊藤剛 (評論家)
伊藤 剛(いとう ごう[11]、1967年〈昭和42年〉[1][2] - )は、日本の漫画評論家、鉱物愛好家[1][12]。東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授[6][7][9]。マンガ表現論、キャラクター文化論を専門とし[4][5]、著書に『テヅカ・イズ・デッド』がある[11][8]。文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員[13][3][5]、「『描く!』マンガ展」監修[9][10]、「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」講師[14][15][16]などを歴任。日本マンガ学会会員[2]。「文化庁メディア芸術祭20周年企画展」ではマンガ部門の監修を務め[7][6]、大英博物館で開催されたマンガ展「The Citi exhibition Manga」にも協力した[17][18]。 来歴・人物漫画の世界へ1967年、名古屋市に生まれる[1]。名古屋大学理学部地球科学科卒業[1]。NTTデータの会社員を経て、漫画家浦沢直樹のアシスタントを務める[19]。1996年には、名古屋鉱物同好会共編著の『東海鉱物採集ガイドブック』が出版されている[1]。日本マンガ学会を設立を目指した2000年のシンポジウムにも参加し[20][注 3]、後に同会の会員となる[2]。アミューズメントメディア総合学院マンガ学科でマンガ製作を指導したり[21]、『ぱふ』で「ヒットまんがのしくみ」を連載[2]。『SPA!』ではマンガ評論を執筆し、『ユリイカ』にも寄稿していた[2]。 『テヅカ・イズ・デッド』執筆2005年にNTT出版から『テヅカ・イズ・デッド』を出版[2][22]。同書では「キャラ」[注 1]と「キャラクター」[注 2]を分節し[23][24][8]、「フレームの不確定性」を論じた[11]。また、手塚治虫の『地底国の怪人』の耳男を例にして、「キャラクター」と「キャラ」を論じた[25][注 4]。さらに竹内オサムが手塚の発明としていた『新宝島』における映画的な手法を手塚以前から存在していたと指摘し[27]、「萌え系キャラマンガ」が研究者や評論家から無視されていると指摘した[20]。 2005年11月18日には夏目房之介や宮本大人と鼎談し、「マンガ批評の最前線」が特集された『ユリイカ』2006年1月号に掲載された[11]。2006年からは武蔵野美術大学芸術文化学科で非常勤講師を務める[3]。また、NTT出版のサイトでは川原和子と「おすすめマンガ時評『此れ読まずにナニを読む?』」の連載を務め[28]、2007年5月19日に開催された「同人誌と表現を考えるシンポジウム」の有識者討論に登壇した[29]。一方2008年には、趣味としての鉱物の楽しみ方を紹介したという[30]『鉱物コレクション入門』を共著で出版している[31]。 東京工芸大学時代2009年、東京工芸大学芸術学部マンガ学科の准教授に就任[3][4][5](後、2016年から教授[6][7])。早稲田大学文化構想学部[32][3]や武蔵野美術大学芸術文化学科[9][4][5]では非常勤講師も務めた。2009年には、さやわか・西島大介[注 5]らが講師を務めたニフティ開催の「ひらめき☆マンガ学校 公開講義 ~消えたマンガ原稿67ページ~」に登壇[34]。2013年の『マンガ研究13講』では、中学校や高等学校の美術教育におけるキャラクター表現の扱いについて論じた[35]。 文化庁メディア芸術祭では、第16-18回(2012-2014年)にマンガ部門の審査委員を務める[3][4][5]。2015年から2017年にかけて大分などで巡回展として開催された「『描く!』マンガ展」では監修を担当[36][9][37][注 6]。大分や京都での開催では田中圭一とともにトークイベントに出演[10][41]。大分や豊橋開催では東京工芸大学の学生とともにマンガ家体験ワークショップにも協力した[10][39]。2016年10月15日から11月6日まで開催された「文化庁メディア芸術祭20周年企画展」では、マンガ部門の監修を務めている[7][6][注 7]。 2019年4月13日には『朝日新聞』に「「手塚治虫と平成」を読み解く 踏み出した先の非日常と未来」が掲載されている[43]。また、同年に大英博物館で開催されたマンガ展「The Citi exhibition Manga」にはアドバイザーとして協力し[17][18][注 8]、クロージングイベントして大英図書館で開催されたシンポジウム「Manga Symposium」には夏目房之介と登壇している[18]。なお、「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」では第1期から講師を務め[14][15]、2022年の第5期でも講師を務める[16]。 著書単著
共編著
分担執筆
対談
主な著作
脚注注釈
出典
関連文献
外部リンク(SNS)
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