伊五十二型潜水艦
伊五十二型潜水艦(いごじゅうにがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。丙型改(へいがたかい)潜水艦とも呼ばれる。3隻が建造されて1943年末から1944年上半期にかけて竣工し、伊号第五十三潜水艦以外の2隻は戦没した。 艦型1942年(昭和17年)の昭和17年度計画(マル追計画)により5隻の建造が計画され、3隻が竣工した。丙型潜水艦ではあるが艦型は乙型改2潜水艦(計画番号S37C)の航空設備を撤去した船型である。計画番号がS37Dであることからもそれがわかる。(乙型潜水艦の計画番号はS37、一方丙型潜水艦はS38である。)乙型で格納筒のあった艦前部には14cm砲1門を搭載し、後部甲板と合わせて2門とした。魚雷発射管は乙型改2と同じく艦首に6門、ただし魚雷本数は17本であった。 1944年(昭和19年)後半に伊53は後部14cm砲を撤去し回天4基を搭載した。この時期に22号電探と逆探も設置と推定される。1945年(昭和20年)に入り前部14cm砲も撤去し前甲板に2基の回天を追加搭載した。このころ13号電探とシュノーケル装置の装備も実施したと思われる。 改⑤計画で計画された丙型潜水艦、計画番号S49Bのうち、15隻を丙型改として建造する予定だったが、すべて建造取り止めとなった[3]。 戦歴伊52は遣独潜水艦作戦の第5陣としてドイツへ向かったがカーボベルデ西方沖で戦没、伊55はテニアン島へ搭乗員救助へ向かったが戦没、いずれも初陣であった。伊53はニューアイルランド島・カビエン北方、フィリピン東方と出撃したが戦果無し。その後回天攻撃隊として3回出撃、戦後米軍により海没処分された。 潜水隊竣工した伊52型潜水艦は訓練部隊である第六艦隊第11潜水戦隊に編入されて訓練ののち、伊52は第8潜水戦隊に編入された後戦没。残りの2艦は第15潜水隊に編入された。 同型艦
脚注
参考文献
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