井家上隆幸井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2018年1月15日[1])は、日本の文芸評論家、コラムニスト。日本推理作家協会会員。 略歴岡山県津山市出身[2]。岡山大学文学部卒[3]。1958年に三一書房に入社し編集者となり、斎藤龍鳳『遊撃の思想』(1965年)[4]、清水一行『小説 兜町』(1966年)[5]、小沢昭一『私は河原乞食・考』(1969年)、竹中労『エライ人を斬る』(1971年)[6]などを担当。 1972年に退社し[5]、創樹社で『なにが粋かよ:斎藤龍鳳の世界』(1972年)を担当[4]。その後、創刊準備中の日刊ゲンダイに編集局次長として入ったが創刊前に退社。再びフリーとなり、書評を中心に執筆活動を行う一方、白川書院に編集者として関わり、竹中労の「日本映画縦断」シリーズ(1974-1976年)、『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1976年)、マキノ雅弘・稲垣浩編『山上伊太郎のシナリオ』(1976年)、高平哲郎『みんな不良少年だった』(1977年)、夏文彦『映画・挑発と遊撃』(1978年)[4]などを担当。 1983年、発起人の一人として「日本冒険作家クラブ」立ち上げに参加、事務局長をつとめた[7]。また日本エディタースクール講師を務めた[5]。 1992年、日本冒険小説協会賞評論賞(『量書狂読1988~1991』)[5]、2001年、日本推理作家協会賞評論その他の部門(『20世紀冒険小説読本〈日本編・海外編〉』)を受賞。 なお、「講演会ドットコム」に井家上のプロフィールとして「1978年、ぴあ株式会社入社、「ぴあ」副編集長、「ぴあムック」編集長等を経て、18年間勤務した同社を96年に退社、 作家専業に」等の情報があるが[8]、これは作家盛田隆二のデータ[9]が混入した誤情報である。 著書
共著
監修
脚注
|