井上広居井上 広居(いのうえ ひろやす、元治元年10月4日[1](1864年11月3日) – 昭和31年(1956年)6月5日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会)や秋田市長(第6代)[3]を務めた。 経歴久保田藩士小貫久之進の二男[4]で、井上福治の養子となった (秋田市手形新町上丁住)[1]。漢学を学んだ後、上京して東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学した[5]。1886年(明治19年)に卒業した後は、秋田魁新報社に入社し、やがて主筆、さらに社長に就任した[5]。 1892年(明治25年)、秋田市会議員に当選した[6]。市参事会員、市会議長を歴任し、また県会議員、県参事会員、県会議長にも就任した[5]。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙でも再選された。 1916年(大正5年)に秋田市長に選出され、1932年(昭和7年)まで在任した[6]。在任中は小学校の施設充実、商業学校の設立、上下水道の整備、産業振興に尽力した[6]。 市長退任後の1936年(昭和11年)からは県教育会長を務めた[6]。 脚注参考文献
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