五島市立崎山中学校(ごとうしりつ さきやまちゅうがっこう)は、長崎県五島市下崎山町にあった公立中学校。略称は「崎中」(さきちゅう)。
2024年(令和6年)3月末をもって閉校し、五島市立福江中学校へ統合された。
概要
- 歴史
- 1947年(昭和22年)の学制改革によって新制中学校として創立。2022年(令和4年)に創立75周年を迎えた。
- 校訓
- 「自主・友愛・練磨・勤労」
- 校章
- 左右の稲穂の根元をリボンで結んだものを背景にして中央に「中」の文字を置いている。
- 校歌
- 作詞は大濱敏美(初代校長)、作曲は松尾政彦による。歌詞は3番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
- 校区
- 住所表記で五島市の後に「下崎山町、上崎山町、向町、長手町」が続く地区。
- 小学校区は五島市立崎山小学校[1]
沿革
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧・崎山村国民学校の初等科が改組され、大浜村立崎山小学校となる。
- 旧・崎山村国民学校の高等科は青年学校の普通科とともに改組され、新制中学校「崎山村立崎山中学校」となり小学校に併設される。初代校長は大濱敏美。
- 1948年(昭和23年)10月 - 父母と教師の会が発足。
- 1949年(昭和24年)4月1日 - 赤島分校が分離し、「崎山村立赤島中学校[2]」として独立。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 合併により福江市が発足したため、「福江村立崎山中学校」に改称。
- 1957年(昭和32年)3月 - 理科準備室が完成。
- 1960年(昭和35年)4月 - 水道施設を設置。
- 1962年(昭和37年)4月 - 生徒数が最大の415名(14学級)を記録。
- 1963年(昭和38年)3月 - 特別教室が完成。
- 1965年(昭和40年)4月 - 新校舎が完成。
- 1970年(昭和45年)10月 - 運動場を整備(散水設備を設置)。
- 1971年(昭和46年)9月 - 完全給食を開始。
- 1975年(昭和50年)5月 - 体育館が完成。
- 1978年(昭和53年)11月 - 校舎の増改築が完了。
- 1979年(昭和54年)
- 1月 - 旧校舎を解体。
- 3月 - 運動場を拡張。
- 1981年(昭和56年)6月 - 郷土歌人 田口照子の句碑が建立される。
- 1986年(昭和61年)9月 - 国旗掲揚台を設置。
- 1991年(平成3年)8月 - 理科室を改築。
- 1992年(平成4年)1月 - パソコン室を設置。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 五島市の発足により、「五島市立崎山中学校」(現校名)に改称。
- 2024年(令和6年)3月31日 - 五島市立福江中学校への統合により、閉校。
交通
最寄りのバス停は、五島自動車(五島バス)「崎山中学校前」バス停である。
最寄りの道路は、長崎県道165号大浜福江線である。
周辺
参考資料
- 「福江市史 上巻」(1995年(平成7年)3月31日, 福江市)第3編 教育・文化、第2章 学校教育、第2節 学校の沿革と現況 p. 428
脚注
関連項目
外部リンク