二田是儀2代 二田 是儀(ふただ これのり、1895年7月4日[1] - 1979年1月31日[1][2])は、日本の政治家。衆議院議員、秋田県天王町長。 経歴山形県西村山郡高松村(現・寒河江市)で[1]、工藤八之助の三男として生まれる[3]。旧名・工藤亮吉[1]。1921年東京帝国大学文学部印度哲学科卒[1][2]。翌年二田家に入籍する[1]。天王村(現・潟上市)長、秋田県議を経て[1][2]、1942年の翼賛選挙では秋田1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。 戦後、推薦議員のため、公職追放となる[4]。1951年に追放解除[5]。追放解除後は再び天王村長となり、同村は在任中の1961年に町制施行。1965年まで務めた[1]。1969年には同町の名誉町民となった[1]。1979年死去。 親族脚注参考文献
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