久村種樹

久村種樹

久村 種樹(ひさむら たねき、1882年4月16日 - 1967年4月26日)は、日本陸軍軍人実業家。最終階級は陸軍中将陸軍科学研究所長、陸軍技術本部長を歴任。戦後、東洋高圧工業(現・三井化学)社長。

経歴

滋賀県出身。近江西大路藩蒲生郡日野町)出身の教育家久村静弥の長男として生れる。陸軍幼年学校(13期)を経て、1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校14期卒業(砲兵科)。翌年6月、砲兵少尉に任官し東京湾要塞砲兵連隊付となる。1908年(明治41年)12月、陸軍砲工学校高等科(14期)を優等で卒業。1909年(明治42年)9月、砲工学校員外学生となり東京帝国大学工学部火薬学科に入学。1912年(明治45年)7月、東京帝国大学を卒業し大阪火薬工廠宇治火薬製造所付となる。

1917年(大正6年)8月、砲兵少佐に昇進し陸軍兵器本廠検査官に就任。同年10月、欧州に出張した。1920年(大正9年)8月、陸軍科学研究所員兼陸軍技術本部員に異動。1921年(大正10年)7月、砲兵中佐1924年(大正13年)8月、砲兵大佐に進級。1928年(昭和3年)8月、科学研究所第3部長となる。

1929年(昭和4年)12月、陸軍少将に昇進し、1932年(昭和7年)8月、陸軍科学研究所長に就任。1933年(昭和8年)12月、陸軍中将に進み、1936年(昭和11年)8月、技術本部長となった。1939年(昭和14年)3月、予備役に編入された。

1944年(昭和19年)東洋高圧工業社長[1]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[2]

栄典

親族

  • 二男 久村栄次(陸軍少佐)

脚注

  1. ^ 「三井東圧化学(株)『三井東圧化学社史』(1994.03)」渋沢社史データベース
  2. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。
  3. ^ 『官報』第3687号「叙任及辞令」1939年4月22日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
先代
社長制新設
東洋高圧工業社長
1944年 - 1945年
次代
柴田勝太郎