久我通相(こが みちまさ)は南北朝時代の公卿。従一位太政大臣。千種太政大臣、または中院と号す。父は太政大臣久我長通。母は参議園基顕の娘。
経歴
以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
鷹司冬通との昇進争い
『園太暦』によると、文和4年(1355年)に通相が内大臣に任ぜられる事をしきりに望んだが却下されたという。結局、通相は翌年に内大臣に任ぜられるのだが、通相の内大臣昇進が一旦見送られたのは、上首であった権大納言左大将の鷹司冬通を越えることになることに冬通が異を唱えたからである[5]。なお、鷹司冬通が大臣に昇進したのは延文5年/正平15年(1360年)9月であり、通相が内大臣と右大将を止められた後である。
系譜
- 父:久我長通(1280-1353)
- 母:園基顕の娘
- 妻:権大納言葉室長隆の娘
- 生母不明の子女
脚注
- ^ 『師守記』暦応4年3月22日の条によると、新任の権中納言通相が着陣したとある。
- ^ 『公卿補任』によれば、鷹司冬通が先に左大将に任ぜられたためという。
- ^ 観応2年/正平6年に花山院長定が右大将を辞して以来、欠官となっていた。
- ^ 『公卿補任』には、武家の執奏によるとある。
- ^ 『園太暦』文和4年8月25日の条。しかし、権大納言としての序列は通相の方が上である。
参考文献
- 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 建武4年/延元2年(1337年)に通相が非参議従三位となった時以降の記事。
- 『尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「久我通相」および「久我長通」の項。
- 『園太暦』 続群書類従完成会 岩橋小弥太・斎木一馬・黒川高明・厚谷和雄校訂
- 『師守記』 国立国会図書館蔵
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