久我 具通(こが ともみち)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿。太政大臣・久我通相の子。官位は従一位・太政大臣、右近衛大将。久世太政大臣と号す。
経歴
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
淳和奨学両院別当と源氏長者
平安時代末期の源雅通以来、淳和院別当・奨学院別当・源氏長者には村上源氏の公卿が就任してきたが、足利義満に取って代わられることになった。具通の次の通宣の時代には足利義持から圧迫を受けて、村上源氏久我家は苦難の時を迎えるのである。
系譜
- 父:久我通相(1326-1371)
- 母:権大納言葉室長隆の娘
- 妻:徳大寺公清の娘
- 生母不明の子女
脚注
- ^ 権大納言
- ^ 足利義満が右大将を兼ねていたが、義満が辞した直後の右大将兼任である。
- ^ 足利義満が左大臣を辞したことに伴う人事異動である。
- ^ 足利義満が太政大臣であったが、義満が辞した直後の任太政大臣である。
参考文献
- 『公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※ 文和5年/正平11年(1356年)に具通が非参議従三位となった時以降の記事。
- 『尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「久我具通」の項。
- 『久我家文書』 國學院大学所蔵
- 岡野友彦『中世久我家と久我家領荘園』 続群書類従完成会
- 横井清 『室町時代の一皇族の生涯 - 『看聞日記』の世界』、講談社学術文庫
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- 舎人親王(知太政官事)720-735
- 鈴鹿王(知太政官事)737-745
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