丹羽孝希
/岡山リベッツ No.28 |
| 基本情報 | よみがな |
にわ こうき | ラテン文字 |
NIWA Koki | 愛称 |
コキニワ | 生年月日 |
1994年10月10日(30歳) | 国籍 |
日本 | 出身地 |
北海道苫小牧市 | 性別 |
男性 | 血液型 |
O型 | 身長 |
162cm | 体重 |
51kg | 選手情報 | 最高世界ランク |
ダブルス2位 シングルス5位 (2017年11月) | 段級位 |
7段 | 利き腕 |
左 | グリップ |
シェークハンド | ラケット |
丹羽孝希ZC | フォア面ラバー |
VICTAS V>22DoubleExtra | バック面ラバー |
VICTAS V>15Sticky | 戦型 |
左シェーク裏裏ドライブ型 | ITTFサイト |
WTTプロフィール | 経歴 | 学歴 |
青森山田高校 | 明治大学卒業 所属歴 |
2018-19 琉球アスティーダ | 2019-20 木下マイスター東京 2020-21 岡山リベッツ 2021-22 T.T彩たま 2022- 岡山リベッツ 代表歴 |
日本代表 2009-2022 | ITTFワールドツアー戦歴 | デビュー年 |
2006 | 生涯成績 |
900試合 650勝 勝率71% | 世界卓球選手権戦歴 | 出場大会数 |
12 | 初-最終出場 |
2009 - 2022 | 国内戦歴 |
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■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧 | 丹羽 孝希(にわ こうき、1994年10月10日 - )は、北海道苫小牧市出身の 日本の男子卓球選手。162cm、51kg。血液型O型。家族は両親、姉、弟。左シェーク裏裏ドライブ型。株式会社ファースト所属。Tリーグは岡山リベッツ所属。ITTF世界ランキング最高位はシングルス5位、ダブルス2位、U21シングルス1位、Jr.1位、カデット1位。段級位は7段。 経歴卓球選手だった父親の影響で7歳から卓球を始める。父と元実業団選手、西村一行の指導を受け[1]、出身地である苫小牧市の卓球チーム「ファイナルウィン」に所属し、小学校低学年の頃から各全国大会に出場し常に同年代の全国トップクラスで活躍していた。11歳でU-18日本代表に選出された[1]。全日本選手権ホープスで優勝し、翌年に苫小牧市立緑小学校を卒業し青森山田中学高等学校に入学した(吉田雅己、町飛鳥は同期)。2009年の世界選手権の前の3月に開催された東京卓球選手権大会では決勝で張一博に勝ち国内シニア大会で初優勝をした[2]。2009年横浜市で開催された第50回世界卓球選手権個人戦に日本男子史上最年少で代表に選出され、予選を勝ち上がり本戦でも1勝あげた。2回戦にて当時世界ランク17位のオフチャロフに敗れたものの2ゲームを取る大健闘を見せた。2010年8月開催のシンガポールユースオリンピック代表に選ばれ、シングルスと混合団体で金メダルを獲得した。 1つ年上の姉の丹羽美里は2009年に苫小牧市立和光中学校を卒業後、青森山田高校に入学しその年のインターハイでの学校対抗優勝に貢献した。また2010年、2011年のインターハイでは2年連続シングルスベスト4に入る。 2011年11月にバーレーンで開催された第9回世界ジュニア卓球選手権大会の男子シングルスで優勝した。これは、2006年の松平健太選手につぐ日本選手2人目である。 2012年3月の第51回世界卓球選手権団体戦で代表に選ばれ、日本の銅メダル獲得に貢献した。4月に行われたロンドン五輪アジア予選では世界ランキング1位の馬龍を破る大金星を挙げ、五輪団体戦の出場権獲得とともに自身初の五輪代表入りを決めた。ロンドンオリンピック団体戦では1回戦カナダに勝利したが準々決勝で香港に敗れた。ロンドンオリンピック終了直後から卓球ブンデスリーガに参加し、主にヨーロッパで試合を重ねる[3]。 2013年1月全日本卓球選手権の決勝において第4ゲームで3ゲーム目を水谷隼に取られ万事休すと思われたが、第5ゲームから盛り返し連続3ゲームを取り逆転の4-3(11-8、3-11、8-11、9-11、11-7、11-5、11-9)で勝利した。 自身初優勝を遂げる。翌月には卓球ブンデスリーガ出場のため再びドイツに渡った[4]。また、この年の世界卓球(開催地・パリ)では4回戦で馬龍に4-2で敗れている[5]。 2014年にロンドンオリンピック直後から所属していた卓球ブンデスリーガの所属チームを退団、最終年でもあった2年目は開幕15連勝を飾るなどレギュラーシーズン20勝4敗でリーグ最高勝率という記録を残した。そして、同年の世界卓球(開催地・東京)では男子団体で銅メダル獲得に貢献した[6]。 2015年の世界卓球選手権・男子個人戦ダブルスでも銅メダルを獲得し、リオデジャネイロ五輪の代表にも内定した。 2016年に入り、用具契約をバタフライ(タマス)からVICTASに変更する[7]。 2016年リオデジャネイロオリンピックのシングルスでは4回戦で第6シードの黃鎮廷(香港)をフルゲームの末下し準々決勝に進出したが、準々決勝で張継科に破れた。団体戦では決勝で中国に敗れるも、日本男子初の銀メダル獲得に貢献した。 2017年4月、明治大学を卒業してスヴェンソン所属となった[8]。 2018年3月、秋開幕のTリーグに参戦する琉球アスティーダへのチーム所属が決まった。翌年の2ndシーズンに木下マイスター東京に移籍した[9]。 2020年6月、Tリーグのチームは岡山リベッツに移籍。 2020年8月、スヴェンソンホールディングスとの所属契約更新が決定。 10月1日、一般女性と入籍したことが所属先のスヴェンソンホールディングスから発表された[10]。 2021年6月23日、第1子となる長女が誕生したことを、マネジメント会社であるスヴェンソンスポーツマーケティングが発表した[11]。 東京オリンピック卓球男子シングルスでは4回戦に進みディミトリー・オフチャロフ(ドイツ)と対戦したが1-4で敗れた[12]。 2022年11月8日、自身のSNSで国際大会からの引退を発表。 2024年4月17日、ファーストとの所属契約を結んだ。 プレーの特徴前陣で台に張り付いての速攻が持ち味であり、相手に先手を取られた際も積極的に振り切っていく両ハンドのカウンタープレーが特徴である。一方、同じプレースタイルの松平健太のように相手の球に合わせるカウンターではなく、自ら振り切っていくカウンターであり、非常に攻撃的なものとなっている。また、相手のドライブの回転を見切り、バウンド直後に手首で強烈な回転をかけるカットブロックなどの独創的なプレーもみられる。そのようなカウンタープレーを行うには速球に反応できる反射神経が必要とされる点で、メディアでは丹羽のことを「天才」としばしば表現される。一方、その小柄な体格から台から離れた打ち合いでは不利になることが多い。 試合中は喜怒哀楽が少なく勝ってもガッツポーズも少ない、但しオリンピックや世界選手権などの大舞台、接戦の試合や対中国選手などの格上選手に勝った時などはガッツポーズを見せることがある。 人物
戦歴
受賞
テレビ番組
脚注
外部リンク
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