中筋山手
中筋山手(なかすじやまて)は兵庫県宝塚市の地名。一丁目から七丁目がある。2022年(令和4年)7月31日現在の人口は4164人[2]。国勢調査に基づく2020年現在の面積は0.4944070km2[注 1]。郵便番号は、665-0875[3]。 全域が第一種低層住居専用地域(建物の高さが10mまで)に指定されているため、大部分が低層住宅である[14]。 地理中筋山手は宝塚市の南部、市街地の北側に位置する。勅使川が地区の西側、天神川が東側を流れている。 歴史中筋山手は町村制施行前は中筋村の一部であった[15]。1889年に町村制施行により兵庫県川辺郡長尾村の一部になった[16]。1955年、長尾村が宝塚市に編入合併され、現在の中筋山手となった。 沿革世帯数と人口2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
人口の変遷
小・中学校の学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[24]。
交通路線バス現在、中筋山手には阪急バスが乗り入れており[25]、山手四丁目バス停[26]と中筋山手二丁目バス停[27]がある。
施設
古墳中筋山手には、天神川と砺使川に挟まれた地区に分布する諸古墳を含む中筋山手古墳群が存在する[32]。特にその中でも中筋山手丘陵の東南麓の天神川右岸のものを中筋山手東古墳群という[33][34][35]。中筋山手東古墳群は4基が現存する[35]。1~3号墳は住宅街の中にあり、2号墳は、市の史跡として指定されており、1976年(昭和51年)に発掘調査が行われ、副葬品として土師器、須恵器の土器類と耳環8点が出土している[34]。また、出土状態から4人が葬られていたと考えられている[34]。 中筋山手古墳群は、石室形態、出土品などから1~3号墳、6号墳、7号墳、東1~4号墳の9基は6世紀後半から末頃、4号墳は6世紀末から7世紀初頭、5号墳が7世紀前半に形成されたと考えられている[36]。7号墳は、有高稲荷神社社殿の裏にある[37]。
有高稲荷神社古来より「小池稲荷」と称し、明治時代末期または大正時代初期から「有高稲荷」と称されて来た[38]。建立は宝永年間(1704年~1710年)に土地の大酒造業、地主、金融業を持って知られた小池道林が旅先での一夜夢のお告げとして稲荷大明神に「汝法華教を持って我を信奉する時、土地五穀豊穣、住民の安穩疑い無し」と告げられ勧請したと伝わる[38]。 主祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、例祭日は10月26日である[38]。1873年(明治6年)に無格社に加列された[38]。住宅街の中にある30の鳥居が特徴である[39]。 脚注注釈出典
参考文献
関連項目 |