中村直蔵
中村 直蔵(旧字体:中村 直藏[注釈 1]、なかむら なおぞう、1877年〈明治10年〉8月8日 - 1957年〈昭和32年〉4月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 経歴・人物兵庫県出身[1]。1897年(明治30年)、陸軍士官学校第9期卒業[1]。日露戦争時には歩兵第20連隊中隊長として出征した[2]。以後、陸軍士官学校教官、歩兵第30連隊大隊長、教育総監部副官、歩兵第63連隊附中佐を歴任[2]。 1920年(大正9年)8月に大阪連隊区司令官、1921年(大正10年)6月に陸軍歩兵大佐、1923年(大正12年)8月に歩兵第26連隊長を経て、1925年(大正14年)5月1日に陸軍少将に昇進と同時に待命、同月25日に予備役に編入した[1][3]。 その後、多紀郡青年団長を務めた[2]。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。 脚注注釈
出典参考文献
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