中村 大造(なかむら たいぞう、1920年(大正9年)7月25日 - 1987年(昭和62年)5月6日[1])は、日本の官僚、実業家。元運輸事務次官・全日本空輸社長。三重県桑名市出身。
略歴
エピソード
- 成田空港問題で反対派が何度も運輸省に抗議に訪れたが、歴代運輸事務次官の中で唯一直接応対したのが中村であり[6]、三里塚芝山連合空港反対同盟の幹部をして「あんないい役人もいる」といわしめた[7]。
- 石橋正次反対同盟委員長代行が運輸相時代の中村がコーヒーを出してもてなしたことを覚えており、中村の空港公団副総裁就任を機会に水面下の交渉が進められた。しかし、1981年に加藤紘一衆議院議員らとともに行おうとした秘密会談(通称「官並会議[8]」)への反対同盟からの出席者の名前が反対派内に漏洩した。これによって交渉がとん挫しただけでなく、石橋は自己批判に追い込まれた。その石橋の処遇を巡って反対同盟内で対立が生じ、分裂する要因の一つとなった[6]。
- 社長在任中の1986年に全日本空輸の悲願だった国際線進出を果たした。初フライト(成田-グアム線)の同年3月3日には古巣の成田空港で式典に立ち、「国際進出は創業以来の夢。この間、国際チャーター便を飛ばし、今日あるを期してきたが、いざ実現となってみると、感無量です」と悲願達成を喜んでいたが、翌年に現職のまま死去した[5]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 大空への挑戦 ANA50年の航跡 104、105頁
- ^ a b c 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “中村大造(なかむら たいぞう)とは”. コトバンク. 2018年12月30日閲覧。
- ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、378頁
- ^ “昭和53年後半 鉄道ニュース”. 国鉄があった時代. 2018年12月30日閲覧。
- ^ a b 原口和久 (2002). 成田 あの1年. 崙書房. pp. 139-143
- ^ a b 前田伸夫『特命交渉人用地屋』アスコム、2005年、47-48・165-172・200-209頁
- ^ “中村 大造”. 日外アソシエーツ(コトバンク). 2017年9月29日閲覧。
- ^ 1981年10月23日に、芝山町官並台にある共同利用施設で開かれた。政府側からは中村と加藤の他に、航空局長・運輸省審議官・空港公団理事・用地交渉担当者が同席した。(映画『三里塚のイカロス』パンフレット、63頁)
参考文献
- ANA50年史編集委員会『大空への挑戦 -ANA50年の航跡-』全日本空輸株式会社、2004年。
- 『ジャパン who was who : 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。