中原道夫 (詩人)中原道夫(なかはら みちお、1931年6月5日 - )は、日本の詩人。 人物・来歴埼玉県所沢市生まれ。1952年東京学芸大学学芸学部国語科に入学。日本電信電話公社東京中央電信局に勤務しながら通学し、1954年に詩誌「棘」創刊。1956年板橋区立桜川小学校に着任。同年処女詩集『石の歌』を上辞。同年「埼玉詩人クラブ」結成に参加。1992年教職を退き、都立中央図書館に非常勤の嘱託として勤務。 所属「棘」「光線」「花粉」「閃」同人を経て、現在「柵」「日本未来派」同人。「金沢文学」特別同人。「い」編集発行人。 日本ペンクラブ、日本文芸家協会、日本現代詩人会会員、日本詩人クラブ常任理事、日本現代詩歌文学館評議員、埼玉文芸家集団刊行委員長など。元日本詩歌句協会副会長。 既刊詩集に『石の歌』『雪の歌』『薔薇を肴に』『だから女よ』『腫瘍』『雪の朝』『傘のないぼくに』があり、詩論集に『今一度、詩の心を』『ぶら下がり』。小説に『野球先生』『野人投手物語』他がある。 また俳誌「十七音樹」に所属し「所道夫」あるいは「中原道夫」名で俳句を発表している[1]。 受賞2006年「わが動物記、そして人」で第37回埼玉文学賞(詩部門) (受賞の言葉)埼玉に生まれ、埼玉に育った私にとって、埼玉文芸賞の受賞は、まるで故郷の香りをいただくような喜びです。 詩集・評論
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