下道長人
下道 長人(しもつみち の ながひと)は、奈良時代の官人。姓は朝臣。官位は外従五位下・大和介。 経歴宝亀8年(777年)に第16次遣唐使の判官として唐に渡り、翌宝亀9年(778年)帰路で耽羅島(済州島)に漂着した海上三狩らを日本に迎えるために、宝亀10年(779年)2月に長人は遣新羅使に任ぜられる。7月には三狩らを率いて無事に日本に帰国し大宰府に至る[1]。 桓武朝の延暦3年(784年)外従五位下・大和介に叙任されている。 官歴『続日本紀』による。 脚注
参考文献 |
下道長人
下道 長人(しもつみち の ながひと)は、奈良時代の官人。姓は朝臣。官位は外従五位下・大和介。 経歴宝亀8年(777年)に第16次遣唐使の判官として唐に渡り、翌宝亀9年(778年)帰路で耽羅島(済州島)に漂着した海上三狩らを日本に迎えるために、宝亀10年(779年)2月に長人は遣新羅使に任ぜられる。7月には三狩らを率いて無事に日本に帰国し大宰府に至る[1]。 桓武朝の延暦3年(784年)外従五位下・大和介に叙任されている。 官歴『続日本紀』による。 脚注
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