下谷神社
下谷神社(したやじんじゃ)は、東京都台東区東上野三丁目にある神社。大年神と日本武尊を祭っている。 概要古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれた都内最古の稲荷神社。東京メトロ銀座線の稲荷町駅に名を残す旧町名の稲荷町は、この神社の旧称が由来の町名である。例大祭で近隣町内を渡御する本社神輿は台輪幅4尺1寸の千貫神輿といわれ、大きな威容を誇る。 社殿の天井画は横山大観の作。また、1798年に初代・三笑亭可楽によって当社境内で初めて寄席が開かれた。このため、本神社には「寄席発祥の地」の石碑がある。 夏になるとドライミストで神社に集まる人々が涼んでいる。 「水」と「芸能」のパワースポットと云われる。 宮司の阿部明徳は、東日本大震災で被災した神社等の仮社殿、鳥居、神輿、縁日などの復旧支援活動を、他の神社関係者と共に行っている[2]。 歴史当初は現在の上野公園にあたる地に鎮座していた。730年(天平2年)、峡田の稲置らが建立したとも、行基が伏見稲荷大社を勧請したとも伝えられる。939年(天慶2年)、平将門による天慶の乱追討祈願のため、藤原秀郷が社殿を新造したという。寛永年間、境内が寛永寺山内となるにあたり、1627年(寛永4年)別当寺正法院と共に下谷屏風坂下に移転したが、126坪余と手狭だったため、1680年(延宝8年)下谷広徳寺前にあった谷中天眼寺先住少林庵抱地525坪余と土地を交換した。1703年(元禄16年)旧地も正法院抱地になった。 1868年(明治元年)神仏分離令により正法院を分離した。翌年周囲の町名が当社に因み下谷稲荷町となる。1872年(明治5年)下谷神社と改称、翌年下谷地域の郷社と定められた。関東大震災で社殿を焼失、1928年(昭和3年)現在地に移転。1934年(昭和9年)現在の社殿が完成した。東京大空襲では被害を受けなかった。 氏子地域脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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