下毛野石代
下毛野 石代(しもつけの の いわしろ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。官位は従五位下・左京亮。 経歴文武朝の大宝元年(701年)左大臣・多治比嶋の薨去に際して、百官を代表して誄を行う(この時の位階は従七位下)。慶雲4年(707年)一族の下毛野古麻呂の言上により、石代は下毛野朝臣から下毛野川内朝臣に改姓した。 元明朝末の和銅8年(715年)従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵する。元正朝では左京亮を務めるが、養老4年(720年)陸奥国で蝦夷の反乱が発生して陸奥按察使・上毛野広人が殺害されたため、反乱鎮圧のため多治比縣守が持節征夷将軍に、石代が征夷副将軍に任ぜられている。 官歴『続日本紀』による。
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