上野亀甫
上野 亀甫(うえの かめすけ、1886年(明治19年)9月10日[1] - 1955年(昭和30年)1月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2] 経歴1886年(明治19年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期卒業[1]。1932年(昭和7年)8月に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、台湾軍高級副官に就任し[2]、1935年(昭和10年)に大阪連隊区司令官に転じた[2]。 1937年(昭和12年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、第12師団司令部附となる[1]。9月11日には歩兵第23旅団長(中支那派遣軍・第18師団)に就任し[1]、第二次上海事変に出動[1]。杭州湾に上陸し、南京を攻陥した後広徳で討伐戦に当たる[1]。第21軍隷下に編入されると[1]、バイアス湾に上陸し、10日で広東を攻略する戦果を収めた[1]。1939年(昭和14年)3月9日に独立混成第2旅団長(駐蒙軍)に転じ[1]、張家口に駐屯[1]。各種作戦、治安維持に当たった[1]。6月1日に留守第12師団司令部附となり[1]、8月1日に待命[1]、9月3日に予備役に編入された[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。 栄典
脚注参考文献
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