上田交通デハ3300形電車

上田交通デハ3300形電車
クハ3660形電車・クハ3770形電車
デハ3310
廃車後の姿
基本情報
製造所 川崎車輌東横車輛
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 直流750 V架空電車線方式
車両定員 デハ3300形:115人(座席40人)[注釈 1]
クハ3660形:130人(座席40人)
クハ3770形:130人(座席52人)
車両重量 デハ3300形:33.05 t
クハ3660形:25.50 t
クハ3770形:29.24 t
全長 デハ3300形:15,900 mm
クハ3660形:15,840 mm
クハ3770形:17,840 mm
全幅 2,740 mm[注釈 2]
全高 デハ3300形:4,169 mm
クハ3660形:3,886 mm
クハ3770形:3,800 mm
車体 半鋼製[注釈 3]
台車 TR10・TR11
主電動機 直流直巻電動機 MB-304-AR
主電動機出力 75 kW
搭載数 4基 / 両
端子電圧 750 V
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 3.04
制御装置 抵抗制御直並列2段組合せ制御
電動カム軸式 MMC-H-200AR2
制動装置 AMM / ACM自動空気ブレーキ
保安ブレーキ手ブレーキ
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上田交通デハ3300形電車(うえだこうつうデハ3300がたでんしゃ)は、上田交通が同社の親会社である東京急行電鉄より中古車両を譲り受けて導入した電車制御電動車)である。

本項では、デハ3300形と編成を組成するため同時に譲り受けた制御車クハ3660形電車、および後年クハ3660形の代替を目的として導入されたクハ3770形電車についても併せて記述する。

概要

別所線における朝の多客時間帯の輸送力増強を目的として、東京急行電鉄において1975年(昭和50年)3月27日付[1]廃車となったデハ3300形3310・クハ3660形3661の2両を原形式・原番号のまま導入した[1]。同2両は東京急行電鉄における車籍は抹消されていたものの、所有者は東京急行電鉄のまま変わっておらず、貸与(同年12月26日付認可[2])の形で導入された[3][注釈 4]

デハ3300形3310は木造省電の払い下げ車の鋼体化名義で1943年(昭和16年)に川崎車輌(現・川崎重工業)において、種車の台枠を流用して3扉構造の半鋼製車体を新製した車両である[4]。一方、クハ3660形3661は戦災車両の復旧名義で1947年(昭和22年)に川崎車輌において新製された、デハ3300形に類似した3扉構造の半鋼製車体を備える車両である[5]。いずれも全長16m弱の小型車であり、より車体の経年の高いデハ3450形などの各形式に先んじて廃車となったものであった[6]

導入に際しては、東京急行電鉄の鉄道路線の架線電圧が直流1,500V仕様であったのに対し、別所線は同750V仕様であったことから、主回路の一部改造など降圧改造が実施されたが、その他は東京急行電鉄在籍当時のまま竣功し、車体塗装についても同様にライトグリーン1色塗りのままとされた[3]

デハ3310・クハ3661は1979年(昭和54年)3月9日付[3][注釈 4]で正式譲渡され、名実ともに上田交通の保有する車両となった[2]

クハ3772

その後、老朽化が進行したクハ3661の代替を目的として、同じく東京急行電鉄よりクハ3770形3772を1983年(昭和58年)10月31日付認可[2]で譲り受け、同年11月15日より運用を開始した[3]。クハ3772は、終戦直後の混乱期に国有鉄道(国鉄)より東京急行電鉄へ払い下げられた戦災国電復旧車を種車とする車両のうち、1960年(昭和35年)以降に東横車輛において車体新製による更新工事を実施したグループに属し[7]、全鋼製のノーシル・ノーヘッダー構造の車体を特徴とした[7]

編成組替が実施されたのちはデハ3310・クハ3772で常時2両編成を組成して朝の多客時間帯に限定運用され、1986年(昭和61年)10月1日に実施された別所線の架線電圧1,500V昇圧時まで在籍した[2]

車体

デハ3300形は全長15,900mm[8]の、クハ3660形は同15,840mm[9]のそれぞれ半鋼製車体を備える。平妻形状の前面3枚窓仕様・片側3箇所設けられた1,000mm幅の片開客用扉・客用扉間に上段固定下段上昇式の二段窓を4枚備えるd1D4D4D2(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)の側面窓配置など、両形式は外観上の類似点を多く備える[5][10]

ただし、窓の上下寸法がデハ3300形が850mmであるのに対しクハ3660形は950mmであること、デハ3300形が前面非貫通構造であるのに対しクハ3660形は前面に貫通扉を備える貫通構造であることなどが異なる[10]

クハ3770形は全長17,840mmの全鋼製構体を備える。前述した2形式と同じく側面窓配置d1D4D4D2の片運転台車であるが、本形式は前述の通り窓の上下の補強帯(ウィンドウシル・ヘッダー)を省略したノーシル・ノーヘッダー構造であった[7]。また、東京急行電鉄在籍当時に実施された客用扉の交換により、客用扉窓の下辺が通常の扉よりも高い位置に設けられた小窓仕様であった点が特徴である[3][11]

車内は各形式ともロングシート仕様である[8][9]

主要機器

以下、特筆なき限りデハ3300形が搭載する主要機器について記述する。

制御装置日立製作所製の電動カム軸式自動加速制御器MMC-H-200AR2を搭載する[8]

主電動機三菱電機製の直流直巻電動機MB-304-AR(端子電圧750V時定格出力75kW)を1両当たり4基搭載する[8]。駆動方式は吊り掛け式、歯車比は3.04で、定格速度は61.4km/hと比較的高速寄りの設定であるが、その代償として定格引張力は1,720kgfと非力であった[8][注釈 5]

台車はデハ3300形・クハ3660形がTR10[8][9]、クハ3770形がTR11を装着する[9]。いずれも鉄道省制式の釣り合い梁式台車である。

制動装置はM三動弁を使用した、AMM(デハ3300形)およびACM(クハ3660形・クハ3770形)と呼称される自動空気ブレーキを採用する[8][9]

運用

前述の通り、当初は貸与の形で導入されたデハ3300形3310・クハ3660形3661は1975年(昭和50年)12月26日より運用を開始した[3]。紺とクリームの2色塗りが標準車体塗装とされた上田交通においてライトグリーン1色塗りの2両は目立つ存在であり、その車体塗装から「グリーン車」と利用者から呼称された[3]。なお、同2両は40の上り急勾配区間が別所温泉駅手前に存在する中塩田 - 別所温泉間には入線せず、朝方に上田 - 中塩田間を1往復する限定運用に専従した[3][注釈 6]

なお、当時の上田交通には東急デハ3300形と同形の付随車として製造された東急サハ3350形を譲り受けた車両であるサハ60形が在籍していたが、両者が編成を組成する機会はなかった[3]

1979年(昭和54年)に正式譲渡されたのち、デハ3310について従来の連結面側妻面に運転台を増設して両運転台構造とする改造が実施され、車両定員は従来の130人(座席44人)[8]から115人(座席40人)に減少した[3]。増設された運転台側の側面外観は、運転台部分の側窓を一枚窓構造としたのみで、乗務員扉の増設は行われなかった[3]。尚、両運化改造後はまれに単行で別所温泉まで運行されることもあった。

その後、戦後間もない混乱期に製造されたクハ3661の老朽化が著しくなったことから、前述の通りクハ3770形3772を新たに譲り受けて代替し、クハ3661は1983年(昭和58年)10月7日付[2]で廃車となった。ただし、東急時代にクハ3661は上り向き、クハ3772は下り向きだったため、3772の入線の際は連結栓の改造を必要とした。

デハ3310・クハ3772で編成を組成されるようになった後も、前述した1日1往復の限定運用に充当された同2両は、1986年(昭和61年)9月30日の別所線架線電圧昇圧前日まで運用され、昇圧当日の同年10月1日付で2両とも廃車となった[2]

なお、別所線の沿線自治体である上田市の別所線存続運動プロジェクトチーム「アイプロジェクト」において用いられるキャラクターのうち、「みどりくん」はデハ3310をモデルとして考案されたものである[12]

脚注

注釈

  1. ^ 両運転台化後の数値。片運転台仕様当時は130人(座席44人)
  2. ^ クハ3660形は2,735 mm
  3. ^ クハ3770形は全鋼製
  4. ^ a b ただし「私鉄車両めぐり(151) 東京急行電鉄」 pp.294 - 295においては、デハ3310・クハ3661の東京急行電鉄における除籍日を1979年(昭和54年)3月27日付としている。また上田交通側の資料では同2両の正式譲渡を1979年(昭和54年)3月9日付としており、東京急行電鉄側の除籍記録と整合性が取れないが、詳細は不明である。
  5. ^ 当時別所線に在籍する車両のうち、最も定格引張力が小さい形式はモハ5250形 (1,996kgf) であったが、デハ3300形はそれを下回った。なお、この性能特性からデハ3300形は東京急行電鉄在籍晩年は制御車各形式とは編成を組成せず、同形式のみで組成された全電動車編成で運用された。
  6. ^ 正確には、上田原発中塩田ゆき下り列車として出庫し、中塩田発上田ゆき上り列車に充当され、折り返し上田発上田原止まりの下り列車で入庫する運用が組まれていた。

出典

  1. ^ a b 「他社で活躍する元・東急の車両」(1994) p.257
  2. ^ a b c d e f 『RM LIBRARY74 上田丸子電鉄(下)』 pp.54 - 55
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『上田交通別所線 さようなら丸窓電車』 p.66
  4. ^ 「池上電気鉄道・目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄の車両たち」(1994) p.221
  5. ^ a b 「東京急行 釣掛電車の頃」(2004) p.106
  6. ^ 「私鉄車両めぐり(151) 東京急行電鉄」(1994) pp.294 - 295
  7. ^ a b c 「3600, 3670, 3770形の記録」(1994) pp.156 - 158
  8. ^ a b c d e f g h 『私鉄電車のアルバム1(愛蔵版) 戦前・戦後の古豪』 (1980) pp.412 - 413
  9. ^ a b c d e 『私鉄電車のアルバム1(愛蔵版) 戦前・戦後の古豪』 (1980) pp.422 - 423
  10. ^ a b 「東京急行電鉄 車両カタログ」(1994) pp.172 - 175
  11. ^ 「東京急行電鉄 車両カタログ」(1994) p.176
  12. ^ まるまどくんが行く!まるまどくんについて - 「モハ5250 丸窓電車 - 上田丸子電鉄の軌跡 - 」”. 上田市マルチメディア情報センター. 2013年1月29日閲覧。

参考文献

  • 慶應義塾大学鉄道研究会 『私鉄電車のアルバム1(愛蔵版) 戦前・戦後の古豪』 交友社 1980年1月
  • 唐沢昌弘 『上田交通別所線 さようなら丸窓電車』 銀河書房 1986年9月
  • 宮田道一・諸河久 『RM LIBRARY74 上田丸子電鉄(下)』 ネコ・パブリッシング 2005年10月 ISBN 4-7770-5120-X
  • 鉄道ピクトリアル鉄道図書刊行会
    • 神立捷良 「3600, 3670, 3770形の記録」 1994年12月臨時増刊号(通巻600号) pp.155 - 159
    • 大幡哲海 「東京急行電鉄 車両カタログ」 1994年12月臨時増刊号(通巻600号) pp.169 - 200
    • 川口雄二 「東急の歴史を飾った車両たち」 1994年12月臨時増刊号(通巻600号) pp.201 - 213
    • 小野田滋 「池上電気鉄道・目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄の車両たち」 1994年12月臨時増刊号(通巻600号) pp.214 - 223
    • 仁平昌之 「他社で活躍する元・東急の車両」 1994年12月臨時増刊号(通巻600号) pp.247 - 259
    • 荻原俊夫 「私鉄車両めぐり(151) 東京急行電鉄」 1994年12月臨時増刊号(通巻600号) pp.260 - 307
    • 高井薫平 「東京急行 釣掛電車の頃」 2004年7月臨時増刊号(通巻749号) pp.101 - 107