上海帰りのリル
上海帰りのリル(シャンハイがえりのリル)は、1951年7月に発売された津村謙の楽曲。記録的な大ヒットとなり、翌年4月には同名映画が公開された。作詞は東條寿三郎、作曲は渡久地政信、編曲は林伊佐緒、演奏はキングオーケストラ。 解説タイトル・歌詞の内容・イントロの一部は、1933年のアメリカ映画『フットライト・パレード』の主題歌(および同曲の日本語カバー)『上海リル』 (Shanghai Lil) から借用しており、出だしのメロディーにも模倣が見られる。 1954年時点で、累計売上は30万枚を超える大ヒットとなっている[2]。1968年時点での累計売上は52万枚[3]。 1952年1月3日、第2回NHK紅白歌合戦において初出場の津村が歌唱した[4]。 1994年に津村の出身地である富山県下新川郡入善町の中央公園水の小径に歌碑が建立された[5]。 2015年9月には毎日放送ちちんぷいぷいのコーナー「歌碑ものがたり」で紹介された。 2017年3月、入善町にあるあいの風とやま鉄道線入善駅で到着メロディとして使用開始された[6]。 アンサーソング同曲自体が『上海リル』のアンサーソングではあるが、本家を凌ぐ大ヒットの余波で、同一の作詞家・作曲家・歌手により、『リルを探してくれないか』(1952年)、『心のリルよなぜ遠い』(1953年)が製作されヒットした。 1952年6月には三条美紀が『私がリルよ』(和田隆夫作詞、東為二作曲)で歌手デビューした。 他にも三条町子『私は銀座リル』、三鳩ひとみ『私がリルの妹よ』、久慈あさみ『霧の港のリル』がある。 1981年には中島文明が率いるダンガン・ブラザース・バンドがアルバム『HANGRY ANGRY』で『上海帰りのリルⅡ』を発表した[7]。 主なカバー
映画
1952年4月4日公開。横浜元町のダンスホールクリフサイドが舞台。婦人倶楽部に連載された同名の小説が原作。姉妹編『風の噂のリル』が同年7月3日に公開された。 キャスト
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