上本佐倉
上本佐倉(かみもとさくら)は、千葉県印旛郡酒々井町の町丁・大字。郵便番号285-0925[2]。 地理北は本佐倉、東は酒々井、南は本佐倉、西は佐倉市将門町、北西は佐倉市大佐倉に隣接している。 歴史江戸期は本佐倉町であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに112石余。なお、「旧高旧領」などでは本佐倉村のうちになっている。佐倉城が鹿島台に移転したことにより佐倉が本佐倉となり、さらに成田街道の往来が盛んになると、街道沿いに商家・旅宿が立ち並び間(あい)の宿が形成され、街道筋だけが村方から独立して町方が誕生した。明和2年明細帳によれば、町場の長さ25町36間、家数58・人数255、馬12、竹御林1か所、辻番所1か所、小物成は茶園代永14文・山銭鐚76文のほかは町役をつとめるため免除、酒々井宿賃伝馬人足は1町分を酒々井町7・本佐倉町3の割合で負担した(区有文書/酒々井町史史料集1)。また、佐倉牧捕馬の際は、酒々井野馬御払場に水夫人足を差出した。神社は、五良神社・神明神社・白山大神社、寺院は日蓮宗善竜寺・長勝寺、浄土宗清光寺・浄真寺・善法院、真言宗竜性寺などがあったが、のち廃寺となり、現在は清光寺だけである。なお、清光寺は徳川家康の父、広忠の歯骨墓があることにより朱印50石を与えられた。明治6年千葉県に所属。明治22年酒々井町の大字上本佐倉となる[4]。明治30年の成田鉄道(現成田線)開通により旧成田街道筋の商家・旅宿などは衰退[5] 年表世帯数と人口2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区町立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
交通バス道路脚注
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