上名古屋(かみなごや)は、愛知県名古屋市西区の地名。現行行政地名は上名古屋一丁目から上名古屋四丁目[WEB 1]。住居表示実施[WEB 5]。
地理
名古屋市西区東端部に位置する。東は北区、西は浄心一丁目、北は秩父通に接する。
歴史
町名の由来
沿革
字一覧
1932年(昭和7年)発行『明治十五年愛知県郡町村字名調』による愛知郡上名古屋村の字一覧。
- 志賀境(しがざかい)
- 三本杁(さんぼんいり)
- 大坪(おおつぼ)
- 道上(みちかみ)
- 東江向(ひがしえむかえ)
- 西江向(にしえむかえ)
- 西内江(にしうちえ)
- 内江(うちえ)
- 弁才(べざい)
- 柳原(やなぎはら)
- 深田(ふかだ)
- 土井下(どいした)
- 土居浦(どいうら)
- 瀬戸前(せとまえ)
- 向島(むこうしま)
- 浮島(うきしま)
- 蓮池(はすいけ)
- 茅庵(ぼうはん)
- 福寿ヶ岡(ふくじゅがおか)
- 紅葉(もみじ)
- 梅林(ばいりん)
- 北浜(きたはま)
- 杉股(すきまた)
- 松山(まつやま)
- 袊[注釈 1]久(れいきゅう)
- 瀬戸(せと)
- 竈屋東(かまやひがし)
- 橋向(はしむかえ)
- 瀬戸浦(せとうら)
- 袊[注釈 1]久浦(れいきゅううら)
- 松山浦(まつやまうら)
- 花畑(はなばた)
- 杉(すぎ)ノ内(うち)
- 桜(さくら)ノ道(みち)
- 大杁西(おおいりにし)
- 土手下(どてした)
- 三股(みつまた)
世帯数と人口
2019年(平成31年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
丁目 |
世帯数 |
人口
|
上名古屋一丁目
|
387世帯
|
760人
|
上名古屋二丁目
|
768世帯
|
1,426人
|
上名古屋三丁目
|
917世帯
|
1,881人
|
上名古屋四丁目
|
630世帯
|
1,246人
|
計
|
2,702世帯
|
5,313人
|
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。
施設
上名古屋一丁目
300 m
3
2
1
略地図
1
内江公園
2
松山製菓本社
3
なかむら内科
上名古屋二丁目
300 m
7
6
5
4
3
2
1
略地図
1
愛知県警察西警察署上名古屋交番
2
上名古屋郵便局
3
宗像神社
4
曹洞宗浄心寺
5
日蓮宗宝塔寺
6
真宗大谷派善徳寺
7
上名古屋保育園
- 福岡県宗像市の宗像大社になぞらえ、下御深井池の中島に田心姫命を祀り、柳原の深島神社に市杵島姫命、五平蔵町の武島神社に湍津姫命を祀っていたものを中島の宗像神社にすべて合祀したという。清洲越しにより名古屋城が成立した後、尾張藩藩主の代々の崇敬により度々の補修が加えられたとされる。明治に至り、当地が第3師団の練兵場として整備されることになったため、1889年(明治22年)6月2日に愛知郡上名古屋村の現在地に遷座された。弁財天とも称される。
- 境内摂社に和徳稲荷社があり、倉稲魂命を祀る。これは上御深井にあったものが、宝暦2年2月に現在地に遷座されたものである。また、徳川義直も合祀している。
- 寛政年間に旧浄心寺の跡地に建立されたもので、本尊は石仏聖観音 。
-
上名古屋交番
-
宗像神社
-
和徳稲荷社
-
浄心寺
-
宝塔寺
-
善徳寺
-
上名古屋保育園
上名古屋三丁目
300 m
2
1
略地図
1
名古屋市立上名古屋小学校
2
上名古屋公園
- 1941年(昭和16年)4月開園。皇太子殿下御降誕記念事業公園の名目で1940年(昭和15年)6月、上名古屋土地区画整理組合に土地の提供を受け、また、児童公園として設計することにより児童運動場新設費の名目で国庫補助金を得、工事費1万円で整備されたという。
上名古屋四丁目
300 m
2
1
略地図
1
あかつき保育園
2
アオキスーパー上名古屋店
- 1952年(昭和27年)9月9日認可の私立保育園。開園以来宗教法人神理教金城教会が運営してきたが、2013年(平成25年)10月1日に社会福祉法人として共育ちの会を設立し、移管した[WEB 13]。
その他
日本郵便
脚注
注釈
出典
WEB
書籍
参考文献
関連項目
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、上名古屋に関するカテゴリがあります。
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区役所管内 | |
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区役所管内(廃止町名) | |
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山田支所管内 | |
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註 |
- ☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
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カテゴリ |