三浦為積
三浦 為積(みうら ためあつ)は、江戸時代後期の紀州藩家老。三浦長門守家第6代当主。官位は従五位下長門守。 生涯天明元年(1781年)9月14日、紀州藩家老・三浦為脩の長男として紀伊国で生まれる。幼名は丈之助。寛政元年(1789年)1月15日に藩主・徳川治貞に初めて拝謁し、父の死去により同年10月に家督を相続する。 寛政6年(1794年)6月1日、藩主・徳川治宝に拝謁し、寛政8年(1796年)4月13日に治宝を烏帽子親として元服。寛政9年(1797年)には江戸に出府し、同年11月1日に第11代将軍・徳川家斉に拝謁。同年12月には従五位下長門守に任官。寛政10年(1798年)5月15日、紀州藩附家老を務める叔父・安藤道紀の娘と婚姻。 文化5年(1808年)、先祖である三浦義同と正木時忠の供養塔を正文寺(千葉県南房総市)に建立する。文化8年(1811年)4月22日に江戸赤坂伝馬町の屋敷を返上し、替地として四谷天龍寺前の牧野織部上地(780坪)を賜る。文化11年(1814年)6月10日に江戸出府を命ぜられ、同年中に江戸木挽町の寄合・榊原采女屋敷を拝領し、翌文化12年(1815年)4月15日に家斉・家慶父子に拝謁。文政3年(1820年)4月1日に紀州帰国の命を受け、同年4月28日に病を理由に隠居して家督を嫡男・為章に譲る。 天保8年(1837年)8月15日、病のため死去。享年57(満55歳没)。墓所は和歌山県和歌山市の了法寺。 系譜
脚注参考文献
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