三条藩

三条藩(さんじょうはん)は、越後国(現在の新潟県三条市元町)に存在した

藩史

慶長3年(1598年)、堀秀治が越後に入部したとき、三条にはその重臣・堀直政が入った。しかし慶長15年(1610年)、直政嫡男の堀直清の代、僧侶を殺害したとして改易になる。その後、慶長17年(1612年)に松平忠輝の家老として松平重勝が2万石で入る。しかし元和2年(1616年)7月に忠輝が改易されたため、重勝は関宿藩に移り、外様の市橋長勝が4万1300石で三条に入部した。長勝は三条城の築城や城下町の建設、新田開発や伝馬制度の設立などに尽力したが、元和6年(1620年)3月17日に死去した。長勝には嗣子がなく、甥の市橋長政が2万石に減知されることで跡目相続を許された。長政は同年5月に近江国仁正寺藩に移封となり、代わって越後国藤井藩より譜代の稲垣重綱が2万3000石で入った。重綱は検地などを行なって藩政を固めようとしたが、元和9年(1623年)に大坂城番となって転出し、さらに1651年には三河国刈谷藩へ移されたため、三条藩は廃されて幕府領となった。

歴代藩主

堀家

外様 5万石

  1. 堀直政(なおまさ)
  2. 堀直清(なおきよ)

松平(能見)家

譜代 2万石

  1. 松平重勝(しげかつ)

市橋家

外様 4万1300石→2万石

  1. 市橋長勝(ながかつ)
  2. 市橋長政(ながまさ)

稲垣家

譜代 2万3000石

  1. 稲垣重綱(しげつな)