三木 義雄(みき よしお)は、日本の陸上競技選手。1920年代に障害走で活躍して日本記録を更新、1928年アムステルダムオリンピックに出場した。
経歴
兵庫県揖保郡揖西村構(現在のたつの市揖西町構)生まれ[2]。旧制龍野中学校(現在の兵庫県立龍野高等学校)に入学し、1923年の日本陸上競技選手権大会では走高跳で優勝する(1m65)[1]。
慶應義塾大学に進学し、1925年には明治神宮競技大会の200mH種目で24秒6の記録を出した(当時の日本記録・世界記録という[1])。1927年には第8回極東選手権競技大会(上海)に出場、110mHで2位、200mHで3位[1]。1927年10月、関東学生陸上競技対校選手権大会の100mHで15秒3の日本記録を出す[3]。
大学卒業後は大阪市北浜の大阪屋商店(岩井コスモ証券の前身の一つ)[注釈 1]に勤務。
1928年、アムステルダムオリンピックに男子110mHで出場[5]、準決勝で落選し決勝進出はならなかった(公式記録としては「記録なし」)。15秒0は当時の日本新記録相当であった[1]。1928年には日本選手権でも優勝。1929年には明治神宮競技場で開催された日独対抗競技会の110mHで優勝(15秒1)。
1931年には万一の負傷に備えて1年間の傷害保険をかけ、「陸上競技選手が足に保険をつけたものは日本では三木君が初」と新聞記事に取り上げられている(当時は様々なものに損害保険をかけることが「流行」であったという)[4]。記事によれば三木は「北浜アスレチック・クラブ」の会員仲間とともに、勤務後に中之島公園のトラックで練習をし、翌年のオリンピックを目指しているという[4]。
脚注
注釈
- ^ 大阪屋商店は「大阪北浜の現物仲買」。1931年時点で三木は「大阪屋商店調査部」勤務であった[4]。
出典
関連項目
外部リンク
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