一宮城 (尾張国)
一宮城(いちのみやじょう)は、愛知県一宮市本町3丁目・大江にあった戦国・安土桃山時代の日本の城(平城)。 歴史築城時期は不明(天文・弘治年間〈1532年-1558年〉?)である。 尾張国の一宮である真清田神社神主である関成重が、真清田神社、及びその領地を守るために築城した。関氏は清和源氏の子孫である。森可成の娘が関小十郎右衛門共成に嫁いだ事から、森氏との関わりが深く、後に関氏から森氏に養子へ出されたり、家督を継ぐ事があった。 関成重の子である関共成(関長安とも)は、織田信長、豊臣秀吉に仕えたが、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いにて戦死する[2]。 その後、織田信雄の家臣である不破広綱が入城するが、1590年(天正18年)に彼が去ると一宮城は廃城となる。 城跡城跡は、県遺跡番号02Y008として埋蔵文化財包蔵地になっており、JR尾張一宮駅の東約650メートルに位置する[1]。三菱UFJ銀行一宮支店の玄関先に石碑がある。周辺は本町商店街になっており、城の形跡は全くない。東西50メートル、南北90メートルの広さがあり土塁や堀で囲まれていたとされるが、埋蔵文化財包蔵地範囲は点的にしか示されていない[1]。 脚注
参考文献
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