ヴェステルングルント
ヴェステルングルント (ドイツ語: Westerngrund) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン行政管区のアシャッフェンブルク郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)であり、シェルクリッペン行政共同体の一員である。 地理位置ヴェステルングルントはバイエルンのウンターマイン地方、アシャッフェンブルク郡に属し、ヴェスターバッハ川の畔に位置する。カールグルント地方の一部をなす。 クロアチアの EU 加盟により、2013年7月1日からヴェステルングルントのオーバーヴェステルン地区がEU の地理的な中心地となった(北緯50度06分47.56秒 東経09度15分14.25秒 / 北緯50.1132111度 東経9.2539583度)[2]。 自治体の構成ヴェステルングルントは3管区 (Gemarkung)、4地区 (Ortsteil) で構成される[3]。以下の括弧内は2015年7月23日現在の各管区の人口である[4]。
隣接する町村ヴェステルングルントは、北東は市町村に属さない地域であるフッケルハイムの森、東はクラインカール、南はシェルクリッペン、西から北にかけてはガイゼルバッハと境を接している。以上はいずれもアシャッフェンブルク郡に属す。 地名語源ヴェステルングルントという町名は、この町が位置するカールグルントの同名の横谷に由来する。ヴェステルングルントという名称は、ヴェスターバッハ川(元々はヴェステルンカール川またはヴェステルン川)がその起源である[5]。この川はこの町を貫通してシェルクリッペンでカール川に合流する。地元の方言では、この町はヴェーステルン (Weestern) と呼ばれる。 歴史的表記歴史的資料や文献に登場するオーバーヴェステルン集落の表記には以下のものがある[5]。
歴史現在のヴェステルングルントの町域は、その大部分がシェーンボルン伯領アムト・クロムバッハに属し、1806年の世俗化でアシャッフェンブルク侯領となった。さらにフランクフルト大公国の一部となった後、1814年にバイエルン王国領となった。バイエルンの行政改革に伴う1818年の市町村令によってフッケルハイム、オーバーヴェステルン、ウンターヴェステルンの3町村が成立した。 1862年7月1日にベツィルクスアムト・アルツェナウが創設され、3町村はその管理下に置かれた。1939年にドイツ国全土で「郡」の名称が用いられることとなった。フッケルハイム、オーバーヴェステルンおよびウンターヴェステルンは、アルツェナウ・イン・ウンターフランケン郡を構成する42市町村に含まれた。1972年1月1日に3町村は合併し、新たな自治体ヴェステルングルントが成立した[6]。また、アルツェナウ郡が廃止されたことにより、同年7月1日に新たに創設されたアシャッフェンブルク郡に編入された。 2015年1月1日、廃止されたガイゼルバッハの森の一部がこの町に併合された[7]。 住民人口
行政議会ヴェステルングルントの町議会は12議席で構成されている[8][9]。これは人口 1,001人から 2,000人の自治体における市町村議会の議員定数である[10]。町議会は、6年ごとに改選される。 首長ヴェステルングルントの町長は、Wählergemeinschaft WIR のブリギッテ・ハイムである。彼女は2014年3月16日の選挙で、CSUのイングリート・ジーモンを相手に 51.9 % の票を獲得して町長に選出された。この選挙の投票率は 63.1 % であった[11][12]。 紋章図柄: 赤地に半身を現した、青い冠を被り青い爪と舌で威嚇する金の獅子。獅子は、金の羊飼いのスコップを前脚に持っている。左上(向かって右上)に斜め十字に組み合わされた2本の銀のハンマー。 紋章の歴史: 紋章の獅子と配色は、1803年の神聖ローマ帝国終焉までこの地を治めたシェーンボルン伯の紋章から採られたものである。獅子が持っている羊飼いのスコップは、この町の守護聖人である聖ヴェンデリンの象徴である。斜め十字に組み合わされたハンマーは、フッケルハイムにおける銀および銅の採掘を表している。この紋章は、1980年3月24日から使用されている[13]。 文化と見所
経済と社会資本農林業2010年現在、この町には 13軒の農家があり、農業用地の合計は 726 ha であった。このうち耕作地が 401 ha、牧草地などの緑地が 316 ha であった[14]。 教育以下の施設がある(1999年現在)
引用
外部リンク
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