クロムバッハ (ウンターフランケン)
クロムバッハ (ドイツ語: Krombach) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州ウンターフランケン行政管区のアシャッフェンブルク郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)であり、シェルクリッペン行政共同体の一員である。 地理位置クロムバッハは、バイエルンのウンターマイン、カールグルント地方のクロムバッハ川沿いにある。 自治体の構成クロムバッハは、単一管区 (Gemarkung) に2つの地区 (Ortsteil) がある。
これらの地区はさらに4つの集落 (Ort) に細分される[3]。
かつてのオーバークロムバッハ、ミッテルクロムバッハ、ウンタークロムバッハの各地区は、集落構成上融合しており、クロムバッハ地区を形成している。 隣接する町村クロムバッハは、北はガイゼルバッハ、東はシェルクリッペン、南東はブランケンバッハ、南から西にかけてはメムブリス(以上、いずれもアシャッフェンブルク郡)と境を接している。 地名語源クロムバッハという地名は、同名の小川クロムバッハ川に由来する[4]。この川は、この町を流れ、グロースブランケンバッハでカール川に合流する。地元では、この町はクルミヒ (Krummich) と呼ばれる。 歴史的表記歴史的な資料や文献に登場するこの町の表記には以下のものがある[4]。
歴史フランケン騎士クライスに属すシェーンボルン伯の領主権は、1806年にアシャッフェンブルク侯領に委譲され、フランクフルト大公国を経て、1814年にバイエルン王国のものとなった。バイエルンの行政改革に伴う1818年の市町村令によって現在の自治体が成立した。クロムバッハの領主裁判所は1849年に廃止された。 クロムバッハは、1862年7月1日に成立したベツィルクスアムト・アルツェナウに属した。この地方行政組織は1939年1月1日にアルツェナウ・イン・ウンターフランケン郡に改組された。この郡の廃止に伴い、クロムバッハは1972年7月1日に新たに創設されたアシャッフェンブルク郡に編入された。 人口推移
行政議会2014年3月16日の選挙以降、この町の議会は 14議席で構成されている[5][6]。 首長クロムバッハの町長はペーター・ザイツ (Unabhängige Bürgerliste Krombach) であり、2014年に選出された[7]。 紋章図柄: 頂部は3度交替する赤と金の帯(すなわち赤 - 金 - 赤 - 金の4本)。その下は赤地で、3連の銀の鋸歯図形の上に青い冠を被った双尾の金の獅子。 紋章の歴史: クロムバッハはその大部分がリーネック伯の所領で、領邦裁判所の所在地であった。この伯家は1559年に断絶し、この町はマインツ選帝侯の所領となった。1666年にシェーンボルン男爵家(後の伯家)がクロムバッハ裁判所を獲得した。この村は、伯家のカール川上流域における所領の中心に位置していた。シェーンボルン家の紋章から採られた獅子の意匠がこの領有関係を示している。紋章頂部の赤と金の帯が入れ替わるデザインはリーネック家の紋章から採られた。赤と銀の配色は、この村が属したマインツ選帝侯領の紋章に由来する。 この紋章は、1967年6月8日から使用されている[8]。 経済と社会資本1999年のこの町の税収は、87.1万ユーロで、このうち 12.4万ユーロが営業税であった。 1998年の公式統計では、製造業に 78人、商業および交通業に 78人の社会保険支払い義務のある労働者がいた。この町に住む社会保険支払い義務のある労働者の合計は 748人であった。加工業者はなく、建設業者が 6社ある。また、1999年の統計では、29軒の農家があり、農地は 490 ha であった。このうち 264 ha が耕作地、214 ha が緑地(放牧地)であった。 教育以下の施設がある(2010年現在)
引用
外部リンク
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