ロベール2世(フランス語:Robert II, 1248年 - 1306年3月21日)は、ブルゴーニュ公(在位:1271年 - 1306年)。ユーグ4世とその妃であったドルー伯ロベール3世の娘ヨランド・ド・ドルーの三男。
生涯
ユーグ4世よりも先に2人の兄が没していたため、1271年に父の死去により公位を嗣いだ。
1279年にフランス王ルイ9世の末娘アニェスと結婚し 、5男5女をもうけた。息子たちへ領土を分配し、娘に対しても結婚持参金として与えたため、ブルゴーニュ公の領地は減少した。
- ジャン(1279年 - 1283年) - ブルゴーニュ伯オトン4世とフィリッパ・ド・バルの長女アリックスと婚約していたが、夭折
- マルグリット(1285年 - 1290年以前) - 未婚のまま夭折
- ブランシュ(1288年 - 1348年) - サヴォイア伯エドアルド妃
- マルグリット(1290年 - 1315年) - フランス王ルイ10世妃
- ジャンヌ(1293年 - 1348年) - フランス王フィリップ6世妃
- ユーグ(1294年 - 1315年) - ブルゴーニュ公
- ウード(1295年 - 1350年) - ブルゴーニュ公
- ルイ(1297年 - 1316年) - アカイア公、アカイア公領継承者マオー・ド・エノーと結婚
- マリー(1298年 - 1336年) - バル伯エドゥアール1世と結婚
- ロベール(1302年 - 1334年) - トネール伯。トネール女子相続人ジャンヌと結婚。
1284年、ロベール2世はドイツ王ルドルフ1世よりドーフィネ公領に対する権限を与えられた。これによりフランスとの間出2年間戦争が続き、最終的にフランス王フィリップ4世はロベール2世にドーフィネに対する要求を放棄させるために、ロベール2世に2万リーブル・トゥルノワを支払った。
ロベール2世はロベール1世の命日である3月21日に死去した。公位は次男のユーグ5世が嗣いだ。
脚注
参考文献
- Bubenicek, Michelle (2002). Quand les femmes gouvernent: droit et politique au XIVe siècle:Yolande de Flandre, Droit et politique au XIV siecle. Ecole des Chartes
- Cox, Eugene (1999). “The kingdom of Burgundy, the lands of the house of Savoy and adjacent territories”. The New Cambridge Medieval History: Volume 5, C.1198-c.1300. Cambridge University Press
- Echols, Anne; Williams, Marty (1992). An Annotated Index of Medieval Women. Marcus Weiner Publishing Inc.
- Topping, Peter (1975). “The Morea, 1311-1460”. In Hazard, Harry W.. A History of the Crusades: The Fourteenth and Fifteenth Centuries. III. The University of Wisconsin Press
- George, Hereford Brooke (1875). Genealogical Tables Illustrative of Modern History. Oxford Clarendon Press