ロバート・ヘイ=ドラモンド (第10代キノール伯爵)第10代キノール伯爵ロバート・オリオール・ヘイ=ドラモンド(英語: Robert Auriol Hay-Drummond, 10th Earl of Kinnoull PC、1751年3月18日 – 1804年4月12日)は、スコットランド貴族。1796年から1804年までロード・ライアン・キング・オブ・アームズ(紋章官の1つ)を務めた。 生涯ヨーク大主教ロバート・ヘイ=ドラモンドとヘンリエッタ・オリオール(Henrietta Auriol、1763年4月22日没、ピーター・オリオールの娘[1])の息子として、1751年3月18日に生まれた[2]。1775年1月13日にリンカーン法曹院に入学した[2]。 1776年12月10日に父からヨークシャーのブロッズワース・ホールを継承したが[2]、ヘイ=ドラモンドはブロッズワースに住まず、1791年にそれを銀行家ピーター・セルソンに売却した[3]。 1787年12月27日に伯父にあたる第9代キノール伯爵トマス・ヘイが死去すると、キノール伯爵位を継承した[2]。1796年4月29日に枢密顧問官に任命され[4]、同年9月30日にロード・ライアン・キング・オブ・アームズに任命された[5]。このとき、死後にロード・ライアン・キング・オブ・アームズの官職を息子に継承させる権利も同時に与えられた[6]。ただし、この時代においてロード・ライアン・キング・オブ・アームズは閑職であり、実際の職務は副官(deputy)が代行した[6]。 1804年4月12日にダプリン城で死去、息子トマス・ロバートが爵位を継承した[2]。 家族1779年4月19日、ジュリア・エア(Julia Eyre、1780年3月29日没、アンソニー・エアの娘)と結婚した[1]。 1781年6月3日、サラ・ハーレー(Sarah Harley、1760年10月19日 – 1837年2月15日、トマス・ハーレー閣下の娘)と再婚、2男2女をもうけた[1]。
出典
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