レイ・ブラウン
レイ・ブラウン(Ray Brown、1926年10月13日 - 2002年7月2日[1])は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれのベース奏者であり、スウィング期、ビバップ期のジャズミュージシャン。 来歴1946年にニューヨークに移り、ディジー・ガレスピーのバンドに加入。同年には、初のリーダー・アルバムを発表。 1947年に著名なボーカリストであったエラ・フィッツジェラルドと結婚。エラの義理の姉妹の子を養子に、レイ・ブラウン・ジュニアと名付け養育したが1952年に離婚。 モダン・ジャズ・カルテット(1952年)の録音、オスカー・ピーターソン・トリオでの活躍、ソニー・ロリンズのアルバム『ウェイ・アウト・ウエスト』への参加、デューク・エリントンとの共演など、その的確な演奏は多くの人に親しまれた。また、リーダー・アルバムも数多く発表しており、エルヴィン・ジョーンズと共演した『サムシング・フォー・レスター』(1977年)などが知られる。 1974年から1982年まで、ブラウンはギタリストのローリンド・アルメイダ、サックス奏者でフルート奏者のバド・シャンク、ドラマーのシェリー・マン(1977年以降はジェフ・ハミルトンに交代)とともに、L.A.フォアとして一連のアルバムを演奏し、録音した[2]。 1990年代後半には、複数のベーシストが共演する異色のバンド、スーパー・ベースを結成。クリスチャン・マクブライドと、ブラウンの弟子であるジョン・クレイトンを加えたベース3本の迫力ある演奏が話題となった。 2002年7月公演に出かけていたインディアナポリスのホテルで死去。75歳没。 今も多くのベーシストの尊敬を集める巨人である。最晩年までゲイリー・カーに弓弾きの手ほどきを受けるなど、精力的な音楽家であった。 ディスコグラフィ→詳細は「en:Ray Brown discography」を参照
脚注参考文献
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