レインコーツ
ザ・レインコーツ(The Raincoats)は、イギリスの実験的なポストパンク・バンドである[1]。アナ・ダ・シルヴァ(ボーカル、ギター)とジーナ・バーチ(ボーカル、ベース)は、1977年にロンドンのホーンシー・カレッジ・オブ・アートの学生時代にグループを結成した[2]。 ラフ・トレード・レーベルと契約し、バンドは初期の作品として『ザ・レインコーツ』(1979年)、『オディシェイプ』(1981年)、『ムーヴィング』(1984年)の3枚のアルバムをリリースした。彼らは1993年に再結成し、1996年にアルバム『ルッキング・イン・ザ・シャドウズ』をリリースした。 略歴1977年-1993年ダ・シルヴァとバーチは、1977年の初めにスリッツがライブで演奏する姿を見て、バンドを作る刺激を受けた。バーチは『She Shreds』誌のインタビューで「突然、許可が与えられたかのようでした。バンドに参加できるなんて思ってもいませんでしたから。女の子はバンドなんてやらなかったんです。でも、スリッツが演奏しているのを見たとき『これは私だ。これは私のものだ』と思ったんです」とコメントしている[3]。1977年11月9日、ザ・タバーナクルにおけるバンドの最初のコンサートでは、バーチ、ダ・シルヴァに、ロス・クライトン(ギター)、ニック・ターナー(ドラム)がラインナップされた。その後、ケイト・コラス(スリッツ、後にモ・デッツ)が短期的に参加したが、代わってジェレミー・フランクが参加した。ニック・ターナーがバラクーダスを結成するために脱退し、リチャード・ドゥダンスキー(元The 101'ers、後にパブリック・イメージ・リミテッド)がドラムに収まり、映画製作者のパトリック・ケイラーがギターのフランクと交代で加入した。 1978年後半に、ザ・レインコーツは、スリッツの元ドラマーであったパルモリヴと、クラシックの教育を受けているヴァイオリニストのヴィッキー・アスピナルが加わったことで、メンバー全員が女性のバンドとなった[4]。このラインナップは、ロンドンのアクラム・ホールで1979年1月4日にライブ・デビューした[5]。シャーリー・オラフリンがマネージメントするバンドは、ラフ・トレード・レコードから最初のシングル「Fairytale in the Supermarket」をリリースした後、1979年5月にスイスの女性バンドであるKleenexとの最初のイギリス・ツアーに出た。ジョニー・ロットンはバンド初期から彼女たちの崇拝者であり、後にこう述べている。「ザ・レインコーツは、エックス・レイ・スペックスやパンクに関するすべての書物が実現できなかったような、まったく異なる方法でその音楽を提供したんだ。そこには彼女たちが素晴らしくてオリジナルであること以外に理由はないね」[6]。ザ・レインコーツの明らかに非商業的なサウンドは、誰にとっても魅力的というものではなかった。バンドによる初期のパフォーマンスを目撃した後、ダニー・ベイカーは「ウェイターがトレイを落とすたびに、私たち全員が起き上がって踊るというくらいに悪いものだ」と述べた[7]。 1979年11月21日、ラフ・トレードはバンドのセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースした[8][9]。これはプレスからかなりの称賛を受けた。パルモリヴは、アルバム『ザ・レインコーツ』がリリースされる少し前の9月にバンドを脱退した。代わって、10代のイングリッド・ワイスがドラムとして参加した。ザ・レインコーツのセカンド・アルバム『オディシェイプ』は1981年にリリースされ、ワイスに加えて、ドゥダンスキー、ロバート・ワイアット(ソフト・マシーン)、チャールズ・ヘイワード(ディス・ヒート)によるドラム演奏の提供をフィーチャーした。ザ・レインコーツは『オディシェイプ』で、バロフォン、カリンバ、ガムランなどの安価な中古楽器の多様なセレクションを採用しており、このアルバムには、イギリスのフォーク、ダブのベース・ライン、ポリリズムによるパーカッション、その他のワールドミュージックの影響を受けたフリー・ジャズの要素が組み込まれている。その折衷的な音楽ジャンルのミックスは「ロックにおける女性の大きな失われた瞬間」の1つと説明されている[10][11]。
1982年12月、ザ・レインコーツはニューヨークにあるザ・キッチンのアート・スペースでライブ・アルバムを録音した。『ザ・キッチン・テープス』は、1983年にROIRによってカセットでリリースされた[13]。 ザ・レインコーツは1984年に『ムーヴィング』をレコーディングした。常にツアーを続け、「違った音楽の方向に引っ張る」ことにうんざりしていたバンドのメンバーたちは、アルバムのリリース直後からソロ・プロジェクトに取り掛かっていた[14]。バーチとアスピナルはドロシー (Dorothy)を結成し、ダ・シルヴァは振付師のギャビー・アギスと一連のダンス・プロジェクトで仕事し、ヘイワードとローズランド (Roseland)を結成した。 1992年、ニルヴァーナのカート・コバーンが、ロンドンのタルボット・ロードにあるラフ・トレード・ショップにザ・レインコーツの新品の旧譜を探しに訪れた。ジュード・クライトンが角を曲がったところにあるアンティーク・ショップで、彼のいとこであるダ・シルヴァと出会わせた。コバーンは、ニルヴァーナのアルバム『インセスティサイド』のライナーノーツでこの出会いについて熱心に書いている。1993年後半に、ラフ・トレードとDGCレコードがバンドの3枚のスタジオ・アルバムを再発した際には、コバーンとソニック・ユースのキム・ゴードンによるライナーノーツが付けられた。
その後、コバーンはザ・レインコーツのデビュー・アルバムを、50枚のお気に入りアルバムの20位にリストアップした[15][16]。 1994年から現在オラフリンは、1994年3月にロンドンのザ・ガレージにて、ドラムのスティーヴ・シェリー(ソニック・ユース)、ヴァイオリンのアン・ウッドとともに、アルバムの再発を記念した公演に出演するようバーチとダ・シルヴァを説得した。彼らはBBCラジオ1のジョン・ピールのセッション番組にてレコーディングを行い、ポール・スミスの「Blast First」レーベルとシェリーのレーベル「Smells Like Records」から『Extended Play 』としてリリースされた。コバーンは4月に計画されたニルヴァーナのイギリス・ツアーに参加するよう彼らを招待したが、ツアーが始まる1週間前に亡くなってしまった。ザ・レインコーツは1996年にブリットポップの音楽プロデューサーであるエド・ブラー (Ed Buller、かつてスウェードとパルプで仕事した)がプロデュースしたアルバム『ルッキング・イン・ザ・シャドウズ』をラフ・トレード / ゲフィンからリリースした。参加ミュージシャンには、ウッド(ヴァイオリン、ベース)、ヘザー・ダン(ドラム)、ピート・シェリー(バズコックス)が含まれていた。 1995年、「Tim / Kerr」レーベルは、ザ・レインコーツのコンピレーション・アルバム『Fairytales』をリリースした[17]。 1996年以来、ザ・レインコーツは、2001年にワイアット主催のメルトダウン、2003年12月にベルリンで開催されたチックス・オン・スピードのアルバム『99 Cents』リリース・パーティーなど、いくつかの特別なイベントに出演してきた。バーチとダ・シルヴァは、ザ・モンクスの曲をトリビュートした『Silver Monk Time』と呼ばれアルバムで「Monk Chant」のカバー・バージョンを録音し、2006年10月にベルリンのフォルクスヴューネでザ・モンクスと一緒にライブで演奏している。2007年4月にリーズで開催された「Ladyfest」で、2007年5月18日にリヨンで行われた「Nuits Sonores」フェスティバルで演奏した。2009年3月28日、バーチが監督し、ザ・レインコーツがプロデュースした作品『The Raincoats-Fairytales-A Work in Progress』が、ロンドンの英国映画協会で上映された。4月25日、バンドはオーストリアの「Donaufestival」でパフォーマンスした。 2009年11月9日に、ザ・レインコーツのデビュー・アルバムは、イギリスの「We ThRee」(バンド自身のレーベル)とアメリカのキル・ロック・スターズ・レーベルからヴァイナル・レコード盤で再発された。 バンドは、2010年5月にサマセットのマインヘッドにてマット・グレイニング主宰の「オール・トゥモローズ・パーティーズ」フェスティバルに出演した。翌週、ザ・レインコーツは、ロンドンのスカラで行われた「ATP Don't Look Back」コンサートにて、ザ・レインコーツの影響を受けたバンドのトラッシュ・キット (Trash Kit)のサポートで、デビュー・アルバムをライブ演奏した。2010年11月21日、ザ・レインコーツはニューヨークのMoMAで「PopRally」シリーズの一環としてコンサートを行った[18]。バンドは、ニュートラル・ミルク・ホテルのジェフ・マンガムから招待され、2012年3月の「オール・トゥモローズ・パーティーズ」フェスティバルでもデビュー・アルバムをライブで演奏している[19]。2011年12月、ザ・レインコーツは同月にテキサスで開催される35デントン・ミュージック・フェスティバルに出演すると発表された。 ザ・レインコーツはエンジェル・オルセンから、2016年11月3日にロンドンのイズリントン・アッセンブリー・ホールで行われるラフ・トレード40周年記念のイベントで協力を要請された。 2017年10月5日、バンドのファースト・アルバムについて書かれた、ジェン・ペリー (Jenn Pelly)の33⅓ブック『ザ・レインコーツ』が、ブルームズベリーから出版された。 ディスコグラフィ※順位は、全英インディー・チャートより[20] スタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
コンピレーション・アルバム
シングル、EP
日本公演
参考文献
脚注
外部リンク |