ルー・フィン・チャウ
ルー・フィン・チャウ(劉瓊珠、Lưu Huỳnh Châu、1966年3月23日 - )は中国系ベトナム人の難民として日本に来た元アイドル歌手。本名は劉琼珠。ベトナム共和国(南ベトナム)サイゴン市(現ホーチミン市)出身。 経歴父はサイゴンでは有名なクラブ『マキシム』のショーを演出しており、母親はその舞踏団のメンバーで女優であった。子供の頃からその稽古などを見て育ち、父の制作した映画に子役として出演したこともあった。 9歳の頃に、母だけが舞踏団の日本公演のため、先に日本に行ったところ、サイゴンがベトナム民主共和国(北ベトナム)によって陥落して帰国不可能になり、それから4年以上の長きにわたり母との断絶を余儀なくされた。その後、統一されたベトナムでは中国系ベトナム人への弾圧が始まり、13歳で父や弟と共にボートピープルとして国を脱出。途中、タイの海賊に2度も襲われ、金品などを奪われるという経験もする。マレーシアのクアラルンプールの難民キャンプに落ち着き、日本の調査団が来て日本への受け入れを希望する。1979年8月、難民第一号ということで報道関係者が多数つめかける中、成田空港で1975年4月以来、4年4カ月ぶりに母と再会した[1]。 日本語ができないため、2学年下の座間市立相模が丘小学校の5年に入学。日本語習得のため一時期、神奈川県大和市に開設された大和定住促進センターへ入所する。他に日本の少女漫画を読んだり、演劇部に入ったりして語学力に磨きをかけた[2]。テレビで山口百恵主演の映画『絶唱』を観て、山口百恵のような歌手になることを決意する[3]。 1981年5月、定住難民へのチャリティーショーがあり、アグネス・チャンがきて広東語で会話をする。12月、『スター誕生!』(日本テレビ)へ応募の手紙を出し、翌年3月3日、後楽園ホールでベトナムの民族衣装の深紅のアオザイを着て山口百恵の『いい日旅立ち』を歌って予選通過、テレビの収録も行われる。決戦大会までの3ヵ月間、日本テレビ音楽学院で歌のレッスンを受ける。7月14日、第42回決戦大会で第73代グランドチャンピオンとなり、ポリスターからデビューすることが決まる[1]。 1982年12月24日に谷村新司作詞・作曲の『スター誕生』でデビュー。曲はマスコミで「ベトナム難民が歌手へ」と話題になりオリコン最高72位、売上1.7万枚。低く太いハスキーな声での歌い方が特徴。「いつか百恵さんのような歌手になりたい。」と誓ったことを、谷村新司がストーリー性のある歌詞にしメロディーをつけ、全面プロデュースもするという完全なバックアップ体制を採って支援。谷村は自分のラジオ番組でも頻繁にこの歌を流して、彼女を褒め称えた。テレビではドキュメンタリー番組も放映され、手記(『難民少女チャウの出発(たびだち)』三宅直子著 1983年 近代映画社)なども出版される[4]。 1983年1月17日、夜のヒットスタジオに出演、『スター誕生』を歌う[5]。2月12日には日本青年館で初コンサートを行う[3]。しかしその年の12月に引退。その後、ロサンゼルスに移住。結婚してベトナム人が多く居住するリトルサイゴンに住み、ベトナム人の集まるクラブで時々歌っているという[6]。 2016年6月22日、全発売音源ベストCD『スター誕生+2 コンプリート・コレクション』が発売された[7]。 ディスコグラフィ
脚注
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